今日のみ言葉【No.1751】(2018年 5月14日)「 真実な神」

主よ、あなたがもし、もろもろの不義に目をとめられるならば、主よ、だれが立つことができましょうか。
(詩篇130:3)

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物事には紙の表と裏のように、肯定的面と否定的面がセットになっているのが普通です。

たとえば、記憶力がいい人を羨ましいと思いますか?

実はその人は「根に持つ」人なのです。

良い記憶も悪い記憶も、両方いつまでも保持して決して忘れない人だからです。

むしろ記憶力の悪い人のほうが、過去のわだかまりも「何かあったっけ?」とケロリと忘れていますから、かえって幸せなのかもしれません。

すべて、両面があって一つなのです。

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神様についても同じことが言えます。

たとえば

「神は真実である」
(第1コリント10:13)

という御言葉を取り上げてみましょう。

神は真実な御方ですから、祝福を与える約束を忠実に果たして下さいます。

それは人間にとって非常に都合が良い面です。

しかし、もう片方の面があります。

それは不正を決して見逃さず、罪に対して容赦はしないという面です。

旧約聖書の詩篇の記者はその恐ろしさをこう述べています。

「主よ、あなたがもし、もろもろの不義に目をとめられるならば、主よ、だれが立つことができましょうか」
(詩篇130:3)

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ルカ福音書の放蕩息子はこの段階までの神理解でした。

ですから、罪の生活の結果、経済も人間関係も破綻し、父のもとに帰ろうと悔い改めた時に

「もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇人のひとり同様にしてください」
(ルカ15:19)

と言おうと考えたのです。

これは自分で自分をさばき、人生の結論を出そうとする生き方です。

実は放蕩息子の目には父親の正確な姿が見えていなかったのです。

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先ほどの詩篇には続きがあります。

「しかしあなたには、ゆるしがあるので、人に恐れかしこまれるでしょう」
(詩篇130:4)

私たちの過去の思いや行動の全てを完璧な記憶で保持し、決して忘れない神の前では言い訳を言っても無駄ですし、つじつまを合わせようとして嘘をつき続けることはなおさら意味がありません。

神には「ゆるし」があるのです。

このゆるしを受け取る生き方が、堂々巡り人生から脱却する鍵となります。

(以下、次回に続きます)

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真実な神に向かう今日として参りましょう。

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