今日のみ言葉【No.3999】(2026年 9月 9日)「手を置く恵み」

彼はその燔祭の獣の頭に手を置かなければならない。そうすれば受け入れられて、彼のためにあがないとなるであろう。
(レビ記1:4)

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今日からレビ記に入りますが、レビ記というと、聖書通読を一度でも行った人の中には、

「ああ、あの古代の複雑な祭儀規定が並んでいるところね」

と、少々重苦しい気持ちになる人がおられるかもしれません。

しかし、その意味を探っていくと、神様がどんなに恵み深い方であるか、人間と深く交流したいと願っておられる御方であるか、そして、そのために神ご自身が犠牲を備えてくださっていることが分かってきます。

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捧げ物を携えてきた人は、

「彼はその燔祭の獣の頭に手を置かなければならない」
(レビ記1:4)

とあるように、自分の手を、傷のない獣の頭の上に置くことが求められています。

これは捧げる人と捧げ物とが一つに結ばれ、その人自身の罪や汚れが、いけにえの動物へと転嫁されることを象徴しています。

そうすると、どうなるのでしょう?

続く文章ではこうなっています。

「そうすれば受け入れられて、彼のためにあがないとなるであろう」
(レビ記1:4)

これは、規定通りに捧げられたゆえに、神がそれを受け入れて下さるという約束です。

捧げる人の行いがどうであるかとか、資格があるからということではなく、ただ、神が定められた道に従う時に、私たちは受け入れられるということです。

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現代に生きる私たちは、この古代の律法をどう生活に適用したら良いのでしょうか。

そのためには、クリスチャンは、日々、自分の弱さや失敗、心の中の罪と向き合いながら生きていることを認めなければなりません。

すると、時に、

「こんな自分が神様の前に出てよいのだろうか」

と、遠慮して、祈りから遠ざかってしまうことがあります。

そのような私たちに対して、今日の聖句は、完全になってから神に近づくのではなく、罪を抱えたままの私たちのために、代わりとなるいけにえが備えられている、ということを教えているのです。

このことは、新約の十字架において完全に成就しました。

イエス・キリストは、傷のない、完全な神の小羊として、私たちの罪を代わりに負ってくださいました。

私たちが信仰によってイエス様に「手を置く」、すなわち、心から信頼し、自分自身をゆだねるとき、私たちはキリストと一つに結ばれます。

そして、その贖いのゆえに、私たちは神の前に受け入れられた者となるのです。

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イエス・キリストの十字架の贖いによって、私たちは安心して父なる神の前に出られるようになりました。

今日も平安をいただいて、神にゆだねる信仰生活を送ってまいりましょう。

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