今日のみ言葉【No.3998】(2026年 9月 8日)「ペテロのつまずき(1)」

それから人々はイエスを捕え、ひっぱって大祭司の邸宅へつれて行った。ペテロは遠くからついて行った。人々は中庭のまん中に火をたいて、一緒にすわっていたので、ペテロもその中にすわった。
(ルカ22:54-55)

——————

中途半端に終わる人を見て、その姿を許せず、腹を立てたり、嫌な気分になったりすることはないでしょうか?

多くの場合、それは相手の人が悪いからではなく、自分の中にある何かが刺激されたからです。

たとえば、「人間はこうあるべき」という強い規範があり、自分自身に対しても厳しい人は、

「なぜ最後までやり切らないのか」

「やるなら、もっと真剣にやればいいのに」

と、怒りを感じます。

私たちは、知らず知らずのうちに、他人を見ながら、自分自身を見ていることがあるのです。

聖書の中の登場人物も、私たちにとっての「鏡」になってくれます。

ペテロのつまずきの記事は、私たちの姿を映す鏡となり、ペテロを通して自分自身を吟味することができるのです。

-*-*-*-*-*-*-

裁判が始まる前に、ペテロのつまずきが紹介されます。

この箇所は、他人事として捉えるのではなく、

「苦難の波に翻弄されるのは私も同じで、気持ちのアップダウンを繰り返している。ペテロの姿は私の姿だ」

という心がけで読むと、聖書の内容が、より一層、身に染みてわかるところです。

-*-*-*-*-*-*-

ペテロを含む弟子たちは、祈りによる備えができていませんでした。

イエス様から

「誘惑に陥らないように祈りなさい」
(ルカ22:40)

と命じられていたのに、

「彼らが悲しみのはて寝入っている」
(ルカ22:45)

という状態になっていました。

そして、それは、イエス様がペテロに告げられた予告が成就することにもつながっていきました。

「ペテロよ、あなたに言っておく。きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」
(ルカ22:34)

しかし、ここで忘れてはならないのは、ペテロがつまずくことを、イエス様があらかじめ知っておられたということです。

そのうえでイエス様は、

「しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った」
(ルカ22:32)

と言っておられます。

-*-*-*-*-*-*-

キリストの愛は、ペテロがどういう状態になろうが、変わりません。

ペテロは、まだそのことを真に知る段階にはいませんでした。

ただ、彼は、遠く離れてではありましたが、捕らえられたイエス様の後について行きました。

「ペテロは遠くからついて行った」
(ルカ22:54)

ここには、ペテロの複雑な姿が表れています。

イエス様について行きたいという思いはありました。

しかし、遠くからでした。

完全に逃げ去ったわけではありません。

けれども、イエス様のそばに立ち続けることもできませんでした。

そして、何もできずに、ただ人々の中に一緒にいただけでした。

「人々は中庭のまん中に火をたいて、一緒にすわっていたので、ペテロもその中にすわった」
(ルカ22:55)

-*-*-*-*-*-*-

ペテロを自分を映す鏡として、私たち自身の姿を見つめ、聖書を通して神の御心を知ってまいりましょう。

-*-*-*-*-*-*-
-*-*-*-*-*-*-

□ ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ □
■メールマガジン「今日のみ言葉」
■発行責任者:山形ジョイフルチャーチ 丸山芳浩

■過去の御言葉メールのすべては、以下のリンクからお読みいただけます。
mikotoba.org

■ご意見ご感想は、 maruyama@mikotoba.org までどうぞ

■YouTube 丸山芳浩師 メッセージチャンネル
www.youtube.com/@joymaru

■御言葉メールのお申し込みをご希望の方は、メールの題名に「登録希望」と明記の上、
maruyama@mikotoba.org
まで送信してください。

■御言葉メールの配信停止をご希望の方は、メールの題名に「配信停止」と明記の上、
maruyama@mikotoba.org
まで送信してください。
なお、登録・停止の反映には数日間かかることがあります。