今日のみ言葉【No.1413】(2016年11月16日) 044 「イエスの入場を迎えた子どもたち」(2)
イエスに言った、「あの子たちが何を言っているのか、お聞きですか」。イエスは彼らに言われた、「そうだ、聞いている。あなたがたは『幼な子、乳のみ子たちの口にさんびを備えられた』とあるのを読んだことがないのか」。
(マタイ21:16)
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人々が熱狂してイエス・キリストをエルサレムに迎えたのには理由があります。
イエス様が今までなされたあらゆることが、救い主メシヤにまつわる言い伝えと合致していたからです。
さらに、救い主はエルサレムに入る時にろばの子を用いるとゼカリヤによって預言されていました。
イエス様が子ろばを用いられたのはこの預言の成就でした。
棕櫚(しゅろ)の葉を振るのは、戦に勝って帰ってくる王を迎える時になされたことです。
ホサナとは「主よどうぞお救い下さい」という意味です。
詩篇第118篇には救い主のエルサレム入場が次のように描かれています。
主よ、どうぞわれらをお救いください。
主よ、どうぞわれらを栄えさせてください。
主のみ名によってはいる者はさいわいである。
われらは主の家からあなたをたたえます。
主は神であって、われらを照された。
枝を携えて祭の行列を祭壇の角にまで進ませよ。
あなたはわが神、わたしはあなたに感謝します。
あなたはわが神、わたしはあなたをあがめます。
(詩篇118:25-28)
これほどまでの保証があるのですから、誰が何と言おうとイエス様を救い主として主張し続ければいいはずなのに、群衆の勢いは反対者からの一言でしぼんでしまいます。
しかし、最後まで変わらない人たちがいました。
それは、子どもたちでした。
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最後までイエス様を賛美する一団が残りました。子どもたちです。
祭司長や律法学者たちが
「宮の庭で『ダビデの子に、ホサナ』と叫んでいる子供たちを見て立腹」
(マタイ21:15)
したと書いてありますから、彼らの神経を逆なでするくらいに、周囲の状況や人々の思惑とは関係なく、子どもたちは賛美をし続けていたのでしょう。
彼らはイエス様について十分に知った上でそうしているわけではありません .
わかってもわかっていなくてもイエス様を「ダビデの子にホサナ」と叫んでいる子どもたちの姿から、どんなことが教えられるでしょうか。
それは、子どもには失うものが何もない、ということです。
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なまじ経験があると、人は恐れを抱きます。
大金持ちでも貧乏でもなく、中途半端にお金を持っている人が「失ったらどうしよう」と毎日あわてふためいているものです。
ですから、イエス様に関わり続けていると、
「失うものが出そうだ、損をする」
と直感した群衆は、スッと退きました。
しかし子どもたちにはそもそも失うものがありません。
ですから、ありのままの真実を語り続けるのに少しも支障がないのです。
まさしく、イエス様がおっしゃられたように
「幼な子、乳のみ子たちの口にさんびを備えられた」
のです。
何もかも失ってしまったら、そこにあるのは絶望だけだ…、ではありません。
何もない人は、その時、自由を持つのです。
そしてもうひとつ、そこに待っているのは、イエス・キリストとの出会いです。
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イエス・キリストとは子どものような素直な心を持った時に出会うことができます。
全てが取り去られた絶望と思える時こそ、最も素直な心で神と相見(あいまみ)ゆることができる時です。
恐れず、今日の一歩を踏み出して参りましょう。
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