今日のみ言葉【No.659】(2013年 9月28日)
わたしはからすに命じて、そこであなたを養わせよう
(列王紀上17:4)
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王の中には極悪人という名前がふさわしいほどの悪王がいました。
代表的なのはアハブ王です。
ところが、悪王がのさばる時代に神は大預言者を遣わします。
アハブに対しては、神の人エリヤです。
王は時の権力者であり、その強大な力で王に刃向かうものを殺してしまいます。
エリヤもそうなる危険がありました。
ですから、アハブ王に対して、
「わたしの言葉のないうちは、数年雨も露もないでしょう」
という神の預言を告げた後、エリヤはケリテ川のほとりに身を隠せ、と神から命ぜられます。
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ケリテ川のほとりとは、何の保証もない、人里離れた場所ということです。
川のほとりですから水はありますが、食べ物はどうしたらいいのでしょう?
神の言葉は
「わたしはからすに命じて、そこであなたを養わせよう」
これが唯一の保証でした。
言葉の通じないからすに何が出来るのでしょうか?
傍から見たら無謀な生き方です。
しかしその保証が確実だから行くのではなく、神の言葉が臨んだからその通りにするのが神の預言者のあり方です。
からすを見るのではなく、その背後におられ、からすを動かされる神を見ていくことがポイントです。
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私が献身した時、周囲の人々は心配して口々にこう言ったものです。
「どうやって食べていくの?」
30年たって振り返ると、バブルの時代もデフレの時代も、食べるものはほとんど変わらず、飢えることなくここまで来ました。
正確に言うと、1日半の断食と1週間の断食、そして胃カメラを飲む前は食べていません。
それだけです。
「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。」
(詩篇23:1)
の御言葉通りの人生を歩ませていただいています。
神は神の働き人を守って下さいます。
ただしそれは、御言葉を信じて一歩踏み出した人への保証です。
全く当てになりそうもないからすを通してでも養って下さる神であることを心にとどめ、与えられた一歩を踏み出していきたいものです。
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神の養いを体験する一日でありますように…。
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