今日のみ言葉【No.3719】(2025年 9月 4日)「第九の災害(2)」
わたしたちは家畜も連れて行きます。ひずめ一つも残しません。
(出エジプト記10:26)
——————
「木の穴に餌を入れると、猿がそれをつかんで手が抜けなくなり、待ち受けていた人間に捕まってしまう」
という話があります。
実際には行われていない寓話だそうですが、何とも真実味をもって迫ってくるのは、人間の我欲を戒める教訓を含んでいるからでしょう。
パロもまた、自分の持っているものを失いたくないという欲望を捨てきれず、そのために身の破滅を招きました。
-*-*-*-*-*-*-
パロは我欲の塊です。
「あなたがたは行って主に仕えなさい。あなたがたの子供も連れて行ってもよろしい」
(出エジプト記10:24)
と言って、さも悔い改めたように見せておきながら、
「ただ、あなたがたの羊と牛は残して置きなさい」
(出エジプト記10:24)
と命じます。
彼は最後まで欲深い考えを捨てきれません。
この欲とこだわりが、彼をして真の悔い改めに導くことを阻んでいたのです。
-*-*-*-*-*-*-
一方、モーセもこだわっているように見えます。
「わたしたちは家畜も連れて行きます。ひずめ一つも残しません」
(出エジプト記10:26)
と、パロの命令にきっぱり反対したからです。
しかし、モーセがこう言うのには、
「わたしたちは、そのうちから取って、わたしたちの神、主に仕えねばなりません。またわたしたちは、その場所に行くまでは、何をもって、主に仕えるべきかを知らないからです」
(出エジプト記10:26)
という理由がありました。
パロのように「自分のため」という我欲からの言葉ではありません。
主に犠牲を捧げるために、全部の家畜を連れていき、行った先で主の命じるように行うための家畜の確保です。
つまり、それは「自分のため」ではなく、「主のために必要だから」なのです。
モーセには神に対する明確な信仰がありました。
それで、はっきりと目的を宣言することができたのです。
このような態度を持つ人が、一つの計画を完遂することができるのです。
-*-*-*-*-*-*-
私たちもまた、「自分のため」ではなく「神のために生きる」ことを、今日の歩みの中で明確に意識してまいりましょう。
-*-*-*-*-*-*-
-*-*-*-*-*-*-
□ ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ □
■メールマガジン「今日のみ言葉」
■発行責任者:山形ジョイフルチャーチ 丸山芳浩
■過去の御言葉メールのすべては、以下のリンクからお読みいただけます。
mikotoba.org
■ご意見ご感想は、 maruyama@mikotoba.org までどうぞ
■YouTube 丸山芳浩師 メッセージチャンネル
www.youtube.com/@joymaru
■御言葉メールのお申し込みをご希望の方は、メールの題名に「登録希望」と明記の上、
maruyama@mikotoba.org
まで送信してください。
■御言葉メールの配信停止をご希望の方は、メールの題名に「配信停止」と明記の上、
maruyama@mikotoba.org
まで送信してください。







ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません