今日のみ言葉【No.3885】(2026年 4月 6日)「生活の処方箋(308)『節目と卒業』」
わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。
(第1コリント13:11)
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思想家、ルドルフ・シュタイナーは、人生を三つの時期に分けました。
若い頃は肉体の時期。
万能感に満ち、およそ肉体の衰えや死などは無縁であるかのように活発な時期です。
熟年・壮年期は心の時期。
健康、経済、人間関係等が思うようにいかず、それを自らの体験として受け入れなければならず、心(知識・感情・意志)を存分に成長させる時と言えます。
老年になると、霊的・精神的段階に入ると言います。
この三段階を、学校、中学校、高校と、一つ一つ節目を迎えるように、各々の段階を、不登校にならず、卒業していきたいものです。
特に日本では、精神的・霊的な、見えない世界に目をとめることが求められています。
星野富弘さんが、命以上の世界を見出し自由になった、とおっしゃったように、不自由な状況にあっても、その世界を自らのものにしたいものです。
(※田中信生の『生活の処方箋』より)
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今日取り上げた「生活の処方箋」は、
「どの段階も否定せず、一つひとつをしっかりと受け入れて『卒業』していくことが、本物の人生を生きることにつながる」
と説いています。
これを裏付ける御言葉は、コリント人への第一の手紙13章11節です。
「わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった」
(第1コリント13:11)
使徒パウロは、この聖句で、「幼な子」というまだ未熟な時代を否定せず、子供の時には子供なりの振る舞いがあることを肯定しています。
しかし、いつまでもそこに留まろうと執着することが、霊的な成長を妨げます。
ですから、
「幼な子らしいことを捨ててしまった」
(第1コリント13:11)
という厳然とした表現で、その時代と決別する意志を示しています。
子供の時は、まだ視野が狭く、断片的な理解しかできません。
しかし、私たちは「大人」へと向かい、物事の全体像を見つめ、本質を理解する者へと変えられていく必要があります。
そのためには、それぞれの時代にふさわしい学びがあり、そこを生き切ることが、次の段階へと進ませるのです。
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自分はまだ不完全であり、完成へと向かう「過渡期」にあることを受け入れましょう。
そして、今のままの姿で神に愛されていることを覚えつつ、与えられた一つひとつのステップを、感謝をもって卒業してまいりましょう。
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