今日のみ言葉(2011年4月16日)【No.27】
「人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。」
(マルコによる福音書8:36-37)
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「死にたい…」という電話がかかってきた時、あなたはどうなさいますか?
私はひとまずホッとします。
本当でしょうか?
はい、本当です。
なぜなら、死にたいという電話をかけてくる方には、「生きたい」という思いがあることを数々の貴重な経験から学んだからです。
「死にたい」、「命を絶つという選択しか見えない」と言う相手に対してすることはただ一つ。「死にたいほどつらい」というその気持ちを聞かせてもらうことです。自殺を思いとどまらせることに全力を注ぐのではなく、ただひたすら共感することに全神経を集中させます。
「う~ん、そりゃひどい」
「それはつらいねー」
「いやー、そんな思いをしたら死にたくなるのも無理はないなー」
言葉だけ挙げれば気楽な応対のように見えるかもしれませんが、一つ間違えればその瞬間電話が切られ、この人の命がどうなるか分からないという緊張感みなぎる時間を通らされます。
この共感を経て、人は悩み苦しむ自分以外見えなかったところから、他者の存在に気がつくのではないでしょうか。
そして、誰にも受け入れてもらえなかった「死ぬしかない」という気持ちを共有してもらえたことによって、「とりあえず生きてみる」という方向に向かっていくことを何度も経験させていただきました。
たとえ誰からも理解されなくても、たった一人、自分のことを理解し、ありのままの自分を受け入れてくれる存在があれば、人は生きていけるものなのです。
そのたった一人、最後の最後まであなたを理解し、受け入れ、あなたが負いきれない重荷を代わりに背負い、十字架で身代わりの死を遂げ、あなたを何としても生かそうとされるお方がイエス・キリストです。
最も大切な命が今日も守られますように。
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