今日のみ言葉【No.822】(2014年 5月12日)
神の目が人の道の上にあって、そのすべての歩みを見られるからだ。
(ヨブ記34:21)
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示談や調停、時には裁判の法廷において「和解」が勧められる時があります。
ただしこの「和解」とは、お互いニコニコ笑顔で仲良しになるということではありません。
その方面の専門家に聞くと、
「結局はお金です」
というクールな返答をいただきました。
お互いどうしても譲れない点があり、長期化する不利益が発生する場合、どこかで双方ともに自分の思いを100%満足させることを断念し、目標に届く前に着地せねばなりません。
その時の客観的判断の材料になるのがお金だというのです。
「思い」という目に見えないものを、「金額」という目に見える数字に変換することが、この世での最終的解決の方法のようです。
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ヨブがどうしても譲れない点は、
「わたしは正しい、神はわたしの公義を奪われた。」
(ヨブ記34:5)
という節にあります。
自分は罪を犯さず、正しい人間であるのに、神が私を苦しめている、という思いです。
それに対して友人エリフは
「神は断じて悪を行うことなく、全能者は断じて不義を行うことはない。」
(ヨブ記34:10)
と神の公正さを主張し、真っ向から反論します。
そして
「神の目が人の道の上にあって、そのすべての歩みを見られるからだ。」
(ヨブ記34:21)
と神が一人々々を見ておられる責任ある創造者であることを強調しています。
ここを
「その通りだ」
と信じて生きるか、
「いや、そんなはずはない」
と、うまく行かなかった事例を思い出して否定するか、人生の行き先はその選択によって決まります。
信仰とは選択だからです。
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人生は長いようであり、明日で終わる命なのかもしれません。
誰もそれはわかりません。
わかるのは今日の一日が与えられているということだけです。
ですからイエス様は、
「あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」
(マタイ6:34)
と今日一日を精一杯生きるようにと教えておられます。
あなたの命が躍動し、生き生きとして過ごせる選択とは何でしょうか?
神はあなたが選べるように自由を保証しておられます。
実り豊かな選択をすることができますように…。
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