今日のみ言葉(2011年7月1日)【No.103】
「どうか、彼らが主のいつくしみと、人の子らになされたくすしきみわざとのために、主
に感謝するように。主はかわいた魂を満ち足らせ、飢えた魂を良き物で満たされるからで
ある。」
(詩篇107:8-9)
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今日の聖句は、道に迷った旅人が救い出される個所です。
子供の時に親とはぐれて迷子になった経験のある人は、あの茫漠とした不安を想像するこ
とができるでしょう。
自分がどこにいるのか分からない。このままここにいていいはずがない。選んで行った先
が正しいという保証もない…。
まさに魂の潤いは蒸発し続け、渇き衰え、息をするのも苦しく感じる状態です。
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道に迷った時は、悩んだまま神にありのままを申し上げ、祈ることが救いへの道を開きま
す。
「彼らはその悩みのうちに主に呼ばわったので、主は彼らをその悩みから助け出し、住む
べき町に行き着くまで、まっすぐな道に導かれた。」(詩篇107:6-7)
神は祈りに応え、最短距離で歩みやすい道へ導かれます。
だからこそ私たちは神に感謝できるのです。かわいた魂は安心で満たされ、飢えた魂は神
のいつくしみで満たされます。
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ただし、往々にして祈りが応えられるまでには間があります。神の時があるのです。私た
ちは今すぐ解答が欲しいところですが、それまで待つ時間が与えられることがしばしばで
す。
それは休息の時間です。
我力の人生は、あちらでもないこちらでもないと目を血走らせながら道を探し求め、気力
も体力も消耗する人生です。
しかし、祈り待ち望む人生は、しっかりと今いる所に踏みとどまり、無駄に力を費やすこ
となく、いざ道が示された時に悠々と進んでいく人生なのです。
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家族で温泉を目指して運転していた時のことです。行けども行けどもそこに着きません。
家内は、「車を止めて誰かに聞いたら?」とか「もう一度さっきの所に戻ってみたら?」
としきりにアドバイスしてくれるのですが、時間が惜しい私は、「おかしい…」と思いな
がらも車をどんどん走らせ続けました。
しばらくして、私たちはスタート地点に逆戻りする道をたどっていることに気がつきまし
た。悔い改めも祈りもしなかった我力運転の結果です。
しかし、「元の木阿弥」というゴールは、神に祈り、悔い改める時には、「もう一度やり
直し」というスタートに変わります。
今度はしっかり祈りました。そして失われた時間を後悔するのではなく、もし温泉に到着
できるなら、残された時間を感謝して湯に浸かろう、と決心しました。
二度目の道のりはあっという間に進み、先ほどの争いの車内は打って変わって一致団結・
協力の雰囲気で満たされ、「ここで間違ったんだ!」という場所もわかり、スムーズに温
泉に着くことができました。
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神はあなたに真の満足を与えて下さる方です。祈りは応えられる、と神に信頼を置き、一
歩々々歩んで参りましょう。
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