今日のみ言葉【No.2952】(2022年11月18日)「弟子も十字架を負う(5)」
自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを救うであろう。
(ルカ9:24)
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日々自分の十字架を負う生涯とは、一言でいえば、自己犠牲の生涯を送ることです。
しかし、
「なるほど、自分を犠牲にすると逆に自分が生きるんだ。これが人生を送る秘訣だ。良いことを学んだ」
と理解すると危ういことをイエス様は語られました。
行動の動機が「自分の命を救うため」だからです。
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イエス様は、自己犠牲の中にこそ本当の命があると教えられましたが、これは、あくまでも神の恵みによって行うことが肝心です。
自分の命を救うために自己犠牲を行うと、逆に失ってしまうとイエス様が警告しておられるからです。
「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを救うであろう」
(ルカ9:24)
どういうことでしょうか?
前回、十字架による罪の赦しという恵みに応答することを書きました。
ところが、それを、
「まず自分の方から犠牲を払ってあげて、損をすることを先にすると、うまく行くんだな」
と、生活の知恵として行うと、それは「自分の命を救おう」としてやっていることになります。
人間的な考え方では、
「あの人のためにお金を出し、物を買ってあげると、巡り巡って後で自分にも返って来る」
となります。
これが「自分の命を救おう」として「自分を犠牲にする」ということです。
一見良さそうな、誰も損をせず得をするような生き方に見えますが、イエス様は
「自分の命を救おうと思う者はそれを失い」
(ルカ9:24)
と言われています。
神の目からすると、これは健全なやり方ではありません。
繰り返し言いますが、恵みに応答して犠牲を払うことが健全なのです。
そうでないと、
「トコトン尽くしてしまう」
からです。
そのからくりは次回に…。
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まず、神の恵みの井戸から命の水を飲むことから始めていきましょう。
その恵みによって、人を愛する一日としてまいりましょう。
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