今日のみ言葉【No.3677】(2025年 7月 8日)「パリサイ人と取税人のたとえ話(1)」
「ふたりの人が祈るために宮に上った。そのひとりはパリサイ人であり、もうひとりは取税人であった。
(ルカ18:10)
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前回の「やもめの祈り」のたとえ話で、
「一生懸命祈らなければ聞いてくれない神」
ではなく、
「祈りを聞こうとして待っておられる神」
であることをイエス様は伝えられました。
今回のたとえ話は、その続きです。
ここでは、たとえ神が恵み深い御方であっても、聞かない祈りがあり、また反対に、聞かれる祈りとはどのようなものかが語られています。
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聖書を読むときには、常に「誰に向かって語られているか」に注意を払うことが、正しく意味をつかむために欠かせません。
今回のたとえ話の冒頭には、はっきりとこう書かれています。
「自分を義人だと自任して他人を見下げている人たちに対して」
(ルカ18:9)
非常にわかりやすい場面設定です。
この人たちが、物語の登場人物であるパリサイ人に重ねられているのは明白です。
「ふたりの人が祈るために宮に上った。そのひとりはパリサイ人であり、もうひとりは取税人であった」
(ルカ18:10)
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ここには、パリサイ人と取税人という対照的な人物の取り合わせが描かれています。
私たちは「パリサイ人」というと、悪人の極みという印象を持ちやすいですが、実際には当時、最も敬虔で真面目に信仰生活を送る人々として、人々から尊敬されていました。
いわば、最高の信仰者と思われていたのです。
一方、取税人は、富を得るために支配者であるローマ帝国側についた売国奴と見なされていましたから、当時の人たちから見れば最低の存在です。
最高と最低の人が、神殿の中で祈っていたという情景を思い浮かべてみて下さい。
この二人は、それぞれどんな祈りをしたのでしょう。
そして、どちらの祈りが聞かれ、どちらの祈りが退けられたのでしょう。
以下、次回に続きます。
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どんな祈りであっても、祈りを続ける今日として参りましょう。
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