今日のみ言葉【No.1081】(2015年 7月 8日)
わたしがあなたがたの母を去らせたその離縁状は、どこにあるか。わたしはどの債主にあなたがたを売りわたしたか。
(イザヤ50:1)
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古今和歌集の序に
「生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける」
という一節があります。これは、
「誰が歌を詠まなかっただろうか?本当にそうか?いや、そんなことはない。みんな歌を詠んできたのだ!」
という強調です。
つまり、疑問形にしておきながら、実際はより強い疑問でそれを否定し、表面の言葉とは反対の内容を強調する表現方法です。
これを反語(はんご)と言います。
今日の聖句もそれと同じ修辞法が使われています。
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イザヤ書第50章の時点で取り扱われているイスラエルは、バビロン捕囚から帰還したものの、荒廃したエルサレムを前にし、絶望していました。
これから復興していこうにも多くの苦労があることは確実です。
今さらバビロンに戻ることもできません。
前に進むのも困難、後ろに退くにも犠牲が多過ぎます。
そのような苦難の只中に陥ると、人は自然に誰かを恨みたくなります。
つまり、
「アンタのせいでこうなった!」
と、人のせいにすれば、自分は努力をする必要がなくなり、その分、楽になれるからです。
しかしその相手が神となると、かないません。
必然的に
「神は我らを見捨てたのだ」
という理由付けで、巧妙に人間は神のせいにするのです。
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その人間に対して、
「わたしがあなたがたの母を去らせたその離縁状は、どこにあるか」
→ あるはずがないではないか!
「わたしはどの債主にあなたがたを売りわたしたか」
→ 誰にも売り渡しているはずはない!
と、神は決してあなたがたを見捨てたのではない、と強調しているのです。
さらに、
「わたしの手が短くて、あがなうことができないのか。わたしは救う力を持たないのか。」
(イザヤ50:2)
と続きますから、神の御心は明らかです。
「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」
(ヘブル13:5)
これが神の御心です。
この御言葉を土台として生きていく時、私たちは困難に立ち向かうエネルギーを得、神の助けによって乗り越えていくことができるのです。
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私の親しいクリスチャンの人で、
「オレは120歳まで生きる!」
と豪語する方がおられます。
私は思わず、
「そんなにこの世に未練があるんかい!」
とツッコミを入れてしまいました。
その理由を聞くと、
「うちの子は自立するまで他の人より時間がかかる。一人前になるまでオレは死ねない。元気で支え続けなければ、と思っている」
と熱い思いを語ってくれました。
私がもし彼と同じ立場なら、
「親が元気でいられるのはあと20年くらい…。おまえ、それまでには自立してくれよ」
と子どもに哀願して終わることでしょう。
しかし彼はお子さんの問題を悩みの種とはとらえず、むしろ、元気で健康で長生きさせてもらえる神からの祝福ととらえて、食生活・運動・ストレス対策、全てに渡って再チェックし、人生の舵を大きく転換させました。
神はきっと彼を支え続けてくださることでしょう。
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神は決してあなたから離れずに、あなたを支えてくださいます。
今日も信仰の一歩を踏み出して参りましょう。
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