今日のみ言葉【No.3587】(2025年 3月14日)「金持ちとラザロの話(2)」

そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。
(ルカ16:23)

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ゴールキーパー以外、手を使うことを禁じられているサッカーでは、その制限ゆえか、しばしば意外な試合結果が生まれます。

必ずしも強いチームが勝つとは限りません。

何十本もシュートを打ち、圧倒的優勢なチームがゴールを割ることができず、一方、相手方の弱い方がたった1回のチャンスをものにして得点を挙げ、劣勢を逆転して勝利を得ることがあるのです。

イエス様が語られた死後の世界では、どうなのでしょうか?

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現世で贅沢に生きた金持ちと、貧しさの極みを生きたラザロ。

この二人は、どちらも死を迎えました。

「この貧乏人がついに死に、御使たちに連れられてアブラハムのふところに送られた。金持も死んで葬られた」
(ルカ16:22)

ラザロは「アブラハムのふところ」に送られたとあります。

これは慰めの場所です。

現世で苦労したラザロでしたが、死後の永遠の世界では祝福の場に送られたというのです。

では、心の冷たい金持ちはどうだったでしょう。

「そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた」
(ルカ16:23)

とあります。

彼は慰めと祝福の場所ではなく、苦しみの場所にいたのです。

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ここで誤解してならないのは、

「生前貧乏だった人は死後天国に行き、裕福だった人は地獄に行く」

ということではない、という点です。

現世での経済状態が死後の運命を決めるのではありません。

救いは金額の有無で決まるのではなく、イエス・キリストへの信仰の有無によって決まるのです。

イエス様が伝えたい中心点は、

「死後の世界はパリサイ人の教えとは正反対であった」

ということです。

ルカ16章の不正な家令の話をした時から、パリサイ人たちはイエス様を嘲笑し、挑戦的態度を取っていました。

彼らの教えでは、神から愛されている者は富むのであって、金持ちこそ神の国に入れるはずでした。

その教えが全くの誤りであることを、イエス様は金持ちとラザロの話を通して教えられたのです。

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キリストが語る真理に耳を傾け、心に留める今日として参りましょう。

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