今日のみ言葉【No.749】(2014年 1月29日)
このようにエルサレムに大いなる喜びがあった。
(歴代志下30:26)
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韓国に教会研修旅行に行った帰り、税関で引っかかってしまった時がありました。
もらった資料の中で係員の目を引くものがあったのです。
私はもらっただけで韓国語のハングル文字は読めませんから何が書いてあるのかわかりません。
しかし、過去の戦争に関する文書だったようなのです。
別室に連れられた際、一緒に旅行者の韓国人ガイドさんがついてくれました。
彼女は一生懸命、
「モクサニン!モクサニン!」
と叫ぶようにして私を擁護してくれました。
モクサニンとは「牧師様」という意味で、「この人は牧師様なのだから決して怪しい人ではありません!」
と強烈に言ってくれていたらしいのです。
しばらくして私は解放されました。
ガイドさんのとりなしに感謝し、そして大きな平安と喜びに包まれた思い出があります。
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今日の聖句のように
「大いなる喜び」
があったのはなぜでしょうか?
それはヒゼキヤのとりなしの祈りのゆえです。
彼は過越の祭りに来た人の中で、
「まだ身を清めていないのに、書きしるされたとおりにしないで過越の物を食べた」
(歴代志下30:18)
人々がいるのを目にしました。
無理もありません。彼らは北イスラエル王国から来た人たちだったからです。
北イスラエルでは長く偶像礼拝が続き、しかもこの時にはアッスリヤによって国が滅んでしまった後だったからです。
ヒゼキヤは
「恵みふかき主よ、彼らをゆるしてください。彼らは聖所の清めの規定どおりにしなかったけれども、その心を傾けて神を求め、その先祖の神、主を求めたのです」
(歴代志下30:18-19)
と、とりなしの祈りをしました。
神はその祈りを聞き、民の心を癒されました。
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知らなかったとはいえ、規定違反の罪は罪。
しかしそれはヒゼキヤの
「形ではなく心を見てください」
という祈りによって神に受け入れられたのです。
民の中に大いなる喜びが湧き上がったのは言うまでもありません。
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人は赦しを受けた時に喜びを感じます。
「あなたのそのままでいい」
と受け入れられることは、愛されることだからです。
愛された応答が喜びとなって現れるのです。
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誰かのために執り成しの祈りを捧げる一日として参りましょう。
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