今日のみ言葉【No.3535】(2024年12月25日)「本当の和解」
ヨセフは彼らに言った、「恐れることはいりません。わたしが神に代ることができましょうか。
(創世記50:19)
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存在感の強いリーダーが亡くなった後、いわゆる「お家騒動」が起きることがあります。
誰が次のリーダーとなり、指揮権を握るかによって、それぞれの者の処遇が決まるからです。
父ヤコブは死に、次のリーダーはヨセフです。
兄たちは、父の死後、ヨセフが自分たちにどのような振る舞いをするか、恐れを抱いたことが聖書に記されています。
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兄たちは、かつてヨセフをエジプトに奴隷として売ったことの仕返しをされるのではないかと恐れました。
父という強力な存在がなくなった今は、桶の周りにはめる箍(たが)が外れて縛りがなくなったような状態ですから、考えようによってはヨセフの思いのままです。
すると、兄たちの間で、
「ヨセフはことによるとわれわれを憎んで、われわれが彼にしたすべての悪に、仕返しするに違いない」
(創世記50:15)
という否定的想像がわいてきたのです。
本音と建て前を使い分ける人は、決して人の言葉をその通りには受け付けません。
必ず、
「本当はどう思っているのか」
と本音を探り、腹の底には別物があるに違いないと決めてかかります。
そうであれば、
「今までは父の手前、ヨセフは何もしないで良い顔を我々に見せていたが、実は復讐の実行を控えていただけだったのかもしれない」
という考えは容易に浮かんでくるものです。
そこで彼らは、生前、父ヤコブは、実はこんなことを言っていたのだ、と作り話をこしらえ、ヨセフに告げました。
「おまえたちはヨセフに言いなさい、『あなたの兄弟たちはあなたに悪をおこなったが、どうかそのとがと罪をゆるしてやってください』」
(創世記50:17)
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ヨセフはこの言葉を聞いて泣きました。
自分の真心が伝わっていなかったと知ったからです。
彼は、
「恐れることはいりません。わたしが神に代ることができましょうか」
(創世記50:19)
と、あくまでも裁き主は神であるという信仰に立ち、自分が神に代わって裁きを下すことはない、ということを謙遜を込めて言っています。
そして、その神は、
「あなたがたはわたしに対して悪をたくらんだが、神はそれを良きに変らせて、今日のように多くの民の命を救おうと計らわれました」
(創世記50:20)
という神なのだから、安心しなさいと
「彼は彼らを慰めて、親切に語った」
(創世記50:21)
のです。
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ヨセフは、兄たちを赦し、彼らに仕えたように、イエス・キリストも私たちを赦し、私たちのために十字架にかかってくださいました。
つまり、ヨセフはイエス・キリストの型なのです。
キリストがこのような御方だからこそ、信じる私たちは安心して重荷を下ろせるのです。
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」
(マタイ11:28)
否定的想像から、イエス・キリストへの信頼へと向く今日として参りましょう。
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