今日のみ言葉【No.1473】(2017年 2月13日) 066 「ニコデモ」(1)

この人が夜イエスのもとにきて
(ヨハネ3:2)

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子供の頃の交通教室で、道路を横断する時は、「右見て、左見て、また右見て渡ろう」と教わりました。

さっき見たから車は来ないはずだ、と思っていても、もう一度確認しなさいという安全教育です。

私が初めて教会に行った時も、「右見て、左見て、また右見て」をやり、誰にも見られていないことを確認し、一気に道路を横断して教会の中にササッと入りました。

それくらい、キリスト教会に行くことは、「変わり者」「普通じゃない」と思われるのではないか、という恐れを感じていたのです。

そのような小心者の私ですから、ニコデモの気持ちがよく分かります。

彼は人目を忍んでやってきた「夜の訪問者」だったのです。

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ニコデモはパリサイ人で、かつユダヤ教サンヘドリン(議会)の議員という、社会的にも上層部の指導者たる人でした。

その立場上、ユダヤ人社会の最下層にいるイエスという者の所には、表立っては来られなかったのでしょう。

それが、夜、人目を避けてやって来た一つの理由だと考えられます。

もちろん、それだけではなかったはずです。

彼は内心、人の目を恐れていたのです。

人からどう思われるだろうかと気にする私たちと同じ心理です。

それが誰の目にもつかない夜という時を選んだ2つ目の理由ではないかと思われます。

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そしてもうひとつは、彼は自分の人生の時間に限りがあることをひしひしと感じていたからでしょう。

ニコデモは老年に至りました。

彼が生涯かけて求めてきたのは、「神の国を見る」(3節)、「神の国に入る」(5節)ことです。

そのために、最高の聖書の学びと律法を守る訓練を重ねてきたにもかかわらず、今となっても確信が得られません。

しかし人々から伝え聞く話によると、ナザレ地方出身のイエスという男は、自分にない確信を持っているようです。

何としてもそれを得たいという純粋な求道心と、年下の若者からでも学びたいというニコデモの謙遜さが彼自身を押しやり、突き動かします。

一方、社会的立場と人の目を恐れる思いがあります。それが教えを請いに行くという行動を妨げようとします。

しかし自分には時間がありません。

相反する思いとギリギリの締め切り時間が迫る中、ニコデモが選んだ落とし所は、

「この人が夜イエスのもとにきて」
(ヨハネ3:2)

ということだったのです。

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粘りに粘り、可能性をギリギリまで追求し、しかし自分に与えられた恵みの中、あえて見限って決断を下す時、神はそれに応えて出会って下さいます。

イエス・キリストとの出会いを求める今日となりますように…。

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