今日のみ言葉【No.647】(2013年 9月12日)
ソロモン王はイスラエルの全地から強制的に労働者を徴募した。
(列王紀上5:13)
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今年は家を建てる人が多くて、建築業界とその関連企業は大忙しです。
来年4月に消費税が上がることを見越しての駆け込み需要なのだそうです。
消費税増税は私たちが選挙で選んだ国会議員が決めたことですから、江戸時代のような
「お上は何をやっているんだ」
という感覚でとらえると誤りになります。
民主主義の国家では、私たちの意志と無関係に政策決定がなされるわけではないのです。
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今日の聖句では、ソロモン王が
「強制的に労働者を徴募した」
とあります。
これは文字通り「強制」で、イスラエルの民の意志とは無関係です。
ただしこの強制労働は、壮大な神の宮を建築するためでした。
目的が正しければ、多少手荒なやり方でも神は認めるのでしょうか?
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ソロモンの神殿建築と対比して、モーセの幕屋建設の時はどうであったかというと、まるで反対です。
「イスラエルの人々に告げて、わたしのためにささげ物を携えてこさせなさい。すべて、心から喜んでする者から、わたしにささげる物を受け取りなさい。」
(出エジプト記25:2)
人々は強制されて幕屋建設に必要な資材を集めさせられたのではありませんでした。
喜んで捧げたのです。
そしてとうとう、
「民があまりに多く携えて来るので、主がせよと命じられた組立ての工事には余ります」
(出エジプト記36:5)
という事態になったので、捧げ物を持ってくるのを民にやめさせたほどです。
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「神のために」という美名の下、人間の欲望を達成しようとする動きは過去にもありましたし、これからもあるでしょう。
現実の大きな流れの中で、流されつつ、浮かび上がりながら生きていかなければならないのが私たちのありのままの姿かもしれません。
しかしその中で、常々試されることは、
「私は喜んでこれをしているか?」
ということです。
嬉しくなくてもやらなければならない無味乾燥な仕事は毎日あります。
その一つ一つに、
「喜んで捧げる」
という部分を少しずつ増やしていくのです。
そこから神の働きが私たちの生活の中に徐々に広がっていくのではないでしょうか?
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喜んで捧げる時を持つ一日として参りましょう。
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