今日のみ言葉【No.2274】(2020年 5月21日)「キリスト教イロハ(71)『詩篇』」
主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。
(詩篇23:1-2)
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「小諸なる 古城のほとり 雲白く 遊子(ゆうし)悲しむ」
千曲川旅情の歌として知られる、島崎藤村の詩の冒頭部分です。
頭韻を踏む音感、リズム、絵のように広がるイメージ…。
客観的報告の文章にすれば、
「長野県小諸城址で旅人(藤村)は白い雲を眺めながら悲しい思いをしています」
とでもなるのでしょうが、それでは表せない心情的思いが詩という文学様式によって我々の心に迫ってきます。
詩形式でなければ伝えられないものがあるのです。
旧約聖書に詩篇という文学があることには、深い神の意図があるのでしょう。
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詩篇とは、古代イスラエルの膨大な詩の中から、150の詩を選んで編纂された、いわば名詩選集です。
時代的には、ダビデ(B.C.1000年)からマカベア(B.C.200年)までの神を讃美する詩や祈りの文が収められています。
ダビデやソロモンの作もありますが、作者についての詳細は不明な場合が多いです。
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詩篇は文学ですから、その文学様式や修辞的表現を心得て読まなければなりません。
それを無視して客観的表現の極みである科学の書として読むと、本来意図していない意味を汲み出してしまいます。
たとえば、中世の教会は地動説を否定し、太陽のほうが地球を回るのだという天動説を支持しました。
それは以下のような聖書箇所を根拠にします。
「主は王となり、威光の衣をまとわれます。主は衣をまとい、力をもって帯とされます。まことに、世界は堅く立って、動かされることはありません。」
(詩篇93:1)
これは神の支配の完全さを表現している詩ですが、
「それ見よ。世界は動かされることはないと聖書に書いてあるではないか」
と、地球が太陽の周りを回ると主張する地動説を否定しました。
もうひとつ。
「神は日のために幕屋を天に設けられた。日は花婿がその祝のへやから出てくるように、また勇士が競い走るように、その道を喜び走る」(詩篇19:4-5)
これも太陽の輝きから受ける感動を表した詩なのですが、
「太陽が天を回ると書いてあるではないか」
と天動説が正しいことの裏付けとされたのです。
詩篇を読む際には、文字通りに読んでいい場合もありますが、比喩や擬人法等の修辞技法が取り入れられた高度な文学なのだと知って読むと、誤った受け取り方をすることがなくなります。
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さて、そんなことを言われると、詩篇が急に難しい書に思えてきて敬遠したくなりますが、そんなことはありません。
詩篇はあなたの心という感性に訴えます。
感ずるがままに読み、あなたなりに味わえば良いのです。
そして、そこで与えられた感動を大切にし、その後で、神が与えようとする正しいメッセージとは何かを考えれば良いのです。
そうすれば、より一層深みが加わった聖書解釈となります。
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神の表現の豊かさを味わう日々として参りましょう。
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