今日のみ言葉【No.582】(2013年 6月 7日)
民の首領たち、すなわちイスラエルのすべての部族の首領たちは、みずから神の民の集合に出た。
(士師記20:2)
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スポーツ選手やビジネスリーダーを育てるための「コーチング」という技法があります。
野球のコーチ、サッカーのコーチと言いますが、そのコーチです。
コーチングの肝は、いかに良い質問をし、コーチされる人から自分なりの答えを引き出すかです。
その点でティーチング(教える)とは全く違います。
ですから、一番悪いパターンは、
「どうしてこうなったんだと思う?」
という質問の後、相手に考える間も与えずに、
「それは○○だったからだ!」
とコーチが自分の答えを出してしまうことです。
コーチが自分の答えを押しつけても選手には入りません。
選手が真に動き出すのは、自分で考えた自分なりの答を発見した時だからです。
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始めから結論ありきの話し合いでは神の導きを受ける隙間さえありません。
士師記20章では女性惨殺事件の問題を解決するため、民のリーダーたちが、
「みずから神の民の集合に出た。」
とあります。
これは良いのです。しかし、話す前から、事件を起こしたギベアの人々を処罰する考えがありありです。
自ら神の前に出る時は、神の導きを求める心で出なければなりません。
神様がいかようになさろうとも、たとえ自分の考えとは正反対であったとしてもそれに従います、という心です。
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圧倒的勢力を誇るイスラエルの人々は、少数のベニヤミン族に2度敗れます。
そこでようやく、
「その所で主の前に座して、その日夕暮まで断食し、燔祭と酬恩祭を主の前にささげた。」
(士師記20:26)
と、これは自分たちの戦いでなく、神の戦いに参加させていただいているだけだ、という思いになったのです。
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神の導きを受けるには、心がニュートラルの状態にいなければなりません。
右にも左にも、前にも後ろにも、進むも退くもとどまるも、全て自由自在。
ところが、
「神様、絶対○○でなければなりません!」
と自分の答を神様に押しつける態度では、40万人のイスラエル軍が3万人弱のベニヤミン軍に負け続けたようになってしまいます。
神にゆだねた自由な心で導きを待つことが肝心です。
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今日も神様の導きを受けるにふさわしい心を準備し、祈り備えて参りましょう。
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