今日のみ言葉【No.1057】(2015年 6月 6日)
憤りの過ぎ去るまで、しばらく隠れよ。
(イザヤ26:20)
——————
イザヤ書の終末の黙示が記されている章が続きますが、第26章の終わりの部分は出エジプトを思い起こさせます。
「その夜わたしはエジプトの国を巡って、エジプトの国におる人と獣との、すべてのういごを打ち、またエジプトのすべての神々に審判を行うであろう。わたしは主である。」
(出エジプト記12:12)
神が裁きを行われる時、私たちはどうしていたらいいのでしょうか?
それは、今日の聖句では、
「憤りの過ぎ去るまで、しばらく隠れよ。」
(イザヤ26:20)
新改訳聖書では、
「さあ、わが民よ。あなたの部屋にはいり、うしろの戸を閉じよ。憤りの過ぎるまで、ほんのしばらく、身を隠せ。」
(イザヤ26:20)
とあります。
神様が人々に対して御業を振るわれる時、特に、人の心に働きかけ、悔い改めのわざをなされる時、私たちは邪魔をしてはいけないのです。
その時は、神様に全くおまかせしなければなりません。
その人と神様との間で成される1対1の対決だからです。
むしろ、夜中に降る雨を知らずにぐっすり眠り、朝目覚めた時、新鮮な空気と共に
「あれ、昨日とは全然変わっている!」
というような感じ方をしているのが良いのかもしれません。
「ほんのしばらく、身を隠せ」
と神様がおっしゃる時は、すっかりおまかせして、あえて知ろうとせずに、のほほんといつものように過ごしているのが良いのです。
仕上げは神様におまかせしましょう。
-*-*-*-*-*-*-
最悪に達した…、と思う次の瞬間に神様の大勝利が待っています。
しばらく身を隠すひとときは、とても長いように感じますが、
「御霊で始めたのに、今になって肉で仕上げるというのか。」
(ガラテヤ3:3)
と神様から指摘されないように、むしろ、
「約束による相続人」
(ガラテヤ3:29)
として、神に信頼を置いて過ごさせていただきましょう。
-*-*-*-*-*-*-
-*-*-*-*-*-*-
●過去記事(バックナンバー)は全て
https://mikotoba.org/
に保管されていますので、いつでもご自由にお読みいただけます。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません