今日のみ言葉【No.506】(2013年 2月19日)
あなたの素祭の供え物は、すべて塩をもって味をつけなければならない。
(レビ記2:13)
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子供の頃、親に連れられてお墓参りに行った時、ご先祖様が好きだった食べ物をお供えとしてお墓に載せたことを覚えています。
子ども心に、
「亡くなったおばあちゃんがお化けになって出て食べるのだろうか?」
などと考えていましたが、先祖の好物を供える親の気持ちというものは何となく分かっていたような気がします。
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レビ記2章では素祭の規定があります。
1章の燔祭は牧畜的で動物を捧げますが、素祭は農耕的で主に穀物を捧げます。
収穫物を捧げるわけですから、神の恵みへの感謝が込められています。
ところで、これは
「すべて塩をもって味をつけなければならない」
とされています。
神様が食べやすいように塩で味付けするのでしょうか?
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同じ13節に、
「あなたの素祭に、あなたの神の契約の塩を欠いてはならない。」
とありますので、この塩は神との契約を意味します。
神と人との契約関係においては、人が先行しません。
つまり、
「私が○○しますから、神様あなたも△△して下さい。」
という対等なものではなく、神が先行して人と契約を結ばれます。
神が先に人間を愛し、その愛に応答してこれこれのことをしなさい、というものなのです。
ですから、この契約の塩は、愛に触発された従順を表します。
換言すれば、神への信仰です。
「すべて、あなたの供え物は、塩を添えてささげなければならない。」
すなわち、どんな捧げものも神への信仰を添えて捧げなさい、ということです。
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信仰を持って初めて儀式は意味を持ちます。
礼拝に出る時も、真心を持って神と会う、という信仰で出席することがそれにあたります。
時には、真心も捧げものも何も無い自分がいるかも知れません。
神からの力をもらうだけで、捧げるものが何もない時が人生の旅路ではあるものです。
しかし、その時こそ、
「神様、恵みを注いで下さい。」
という信仰が添えられての礼拝です。
神様はあなたの存在とその信仰を見て、塩で味付けられた捧げものと受け取って下さいます。
何もない時こそ、神との最高の礼拝を持てることを確信しましょう。
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塩で味付けられた一日を過ごして参りましょう。
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