今日のみ言葉【No.435】(2012年10月27日)

彼らは、やがて生ける者と死ねる者とをさばくかたに、申し開きをしなくてはならない。
(第1ペテロ4:5)

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日本三景として名高い、松島、天橋立、安芸の宮島。

天橋立では仏教施設が多くあり、その中で久々に地獄絵図を見てきました。

とりわけ目を引いたのは、地獄で罪人が鬼に取り調べを受けている風景で、大きな鏡の中に生前の悪行三昧が映し出されている絵でした。

仏教にも死後の裁きがあるのだなあ、と、キリスト教との類似を覚えた時でした。

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聖書が繰り返しはっきりと伝えていることは、死後にある神の審判です。

「やがて生ける者と死ねる者とをさばくかたに、申し開きをしなくてはならない。」

私たちの命は神様から与えられた、いわば「借り物」ですから、地上で生きている間に命をどのように使ったか、与え主の神が説明と精算を求めるのです。

この神の裁きから逃れる方法は、罪を犯さないことです。

厳密に言えば、たとえキリストを信じていなくても、その人が生涯、何の罪も犯していなければOKなのです。

しかし、そのような人は誰もいません。

罪ある人間が、罪なし、と認められるには、誰かが身代わりになって神の裁きを受けてもらうほかありません。

それがイエス・キリストの十字架です。

キリストの死は私の代わりに罪の刑罰を受けたことだったのだ、と信じる者は神の裁きを受けません。

神の前での精算時、全部キリストが払ってくださったので、クリスチャンは何も申し開きをする必要はなくなりました。

これがキリストの福音、「Good news」(グッドニュース)、つまり「良き知らせ」です。

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ミッション・バラバという元ヤクザの人たちによる伝道団体があります。

背中の入れ墨は消えませんが、むしろそれを背負って、元同じ世界のヤクザの人たちや薬物にはまった人たち、さらには一般の方々に伝道しているのです。

ミッション・バラバの伝道者には暗さがありません。

過去はすべて許され、新しい人生を歩むことのできる喜びにあふれているからです。

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キリストを信じる者は神の裁きにおびえる必要がありません。

喜びを持って今日一日を歩んで参りましょう。