今日のみ言葉【No.2576】(2021年 7月 1日)「キリスト教イロハ(164)『和解』」

もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。
(ローマ5:10)

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昔のやんちゃな男子高校生は本当に殴り合いの喧嘩をしました。

ところが、とことんやりあうと、なんだかわからないけど相手と仲が良くなっているのだそうです。

さて、神様の場合は、ウヤムヤにしたりとか何だかわからないけどそうなったということではなく、キッチリと和解の手続きをなさいます。

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聖書で言う和解とは、神と仲直りをし、正常な関係になることです。

使徒パウロはそのことをこう言っています。

「わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けた」
(ローマ5:10)

キリストの十字架の死によって神との和解は成立したというのです。

そして続いて、

「今や和解を得させて下さったわたしたちの主イエス・キリストによって、神を喜ぶのである」
(ローマ5:11)

と記し、キリストによって神を喜ぶほどの状態になっているとパウロは言っています。

私たちもこうなったら素晴らしいと思います。

神と正常な関係になるとはどういうことなのでしょうか。

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それには、まず、神は愛の御方であると知ることから始まります。

「神は愛である」
(第1ヨハネ4:16)

しかし、愛なる神は同時に義なる神でもあります。

神の義は不義に対して怒りをもって臨まれます。

つまり、罪ある人間に対して、神は怒りをぶつけてくるということです。

ドラえもんに例えると、のび太とスネ夫がしでかしたことでジャイアンがカンカンに怒っているようなものです。

ジャイアンが顔を真っ赤にして怒ると手のつけようがありませんが、神の怒りはそれとは比較にならないほど大きく、これほど恐いものはありません。

和解がなければ人間はその怒りをまともに受けなければならないのです。

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神は和解の使者を用意して下さいました。

それが神の御子イエス・キリストです。

使者と言っても、言葉だけ伝えるような使者ではありません。

御子イエスは十字架の上で私たちの不義に対する神の怒りを一身に負われました。

そのイエスの十字架の死は私の罪に対する神の怒りであり、裁きであると信じた時に、罪の赦しがなされ、神からの和解が与えられるのです。

ここにおいて、神との正常な関係が回復され、人間は神と真正面から向き合うことができるようになりました。

このようなプロセスを経た人間にとって、神との和解は大変ありがたいものと感じられます。

したがって、和解が与えられた人間は神そのものを喜ぶように変えられていくのです。

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神との和解を受け、神を喜びつつ歩む人生を送って参りましょう。

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