今日のみ言葉【No.2792】(2022年 4月19日)「種まきのたとえ(5)」
ほかの種は、いばらの間に落ちたので、いばらも一緒に茂ってきて、それをふさいでしまった。
(ルカ8:7)
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4月も半ばを過ぎると、
「いったい何人の新入社員がこの期間に辞めたのだろうか」
と心配になります。
対応する上司の方々も大変です。
おそらく、全く心当たりがないことでしょう。
ここは、相手を否定して自分の価値観の中に安住する大人のままでいるか、あるいは若者の考え方を理解し、自分の欠けを見出そうとして、あえていばらの道を歩く上司になろうとするかの分岐点です。
ただし、それは若い人たちに頭を下げ、「教えていただきたい」と身を低くすることであったり、彼らと真剣に向き合い、ぶつかり、そして、自分の今までのやり方を壊して新しいやり方を模索することでもあるので、身も心も痺れるような日々を過ごさなければなりません。
聖書は、いばらを乗り越えて成長することができない人もいますよ、と教えています。
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道端に落ちた種、岩の上に落ちた種の次の3番目は、いばらの中に落ちた種です。
「ほかの種は、いばらの間に落ちたので、いばらも一緒に茂ってきて、それをふさいでしまった」
(ルカ8:7)
いばらの間に落ちた種は、前の2つの種と違って成長します。
しかし、その発育はいばらによって妨げられ、ある程度までは伸びても、結局のところ霊的実は結ばれません。
イエス様は、いばらとは「生活の心づかいや富や快楽」と言われています。
「いばらの中に落ちたのは、聞いてから日を過ごすうちに、生活の心づかいや富や快楽にふさがれて、実の熟するまでにならない人たちのことである」
(ルカ8:14)
コロナという疫病や戦争という世界的に大きなもので心乱されることもあり、将来の生活に不安と焦りを覚えることもあり、それらを紛らわそうとして富の追求や快楽に走ることもあり、この世はあちこちに「いばら」があります。
この現実を生きていくために、信仰生活向けと、この世の生活向けの二重の基準を作り、上手に行き来する人もいます。
しかし、聖書の言葉を知ってはいても、それを真剣に生活に適用しようとはしていないのですから、霊的勝利を得るという体験は乏しいまま信仰生活を続けるということなります。
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ここまで読んで、
「ああ、いばらの間に落ちた種とは、誰あろう私のことだ」
と思った人は幸いです。
病気にたとえると、あなたは病識があり、自覚症状があるということですから、医者に行って治してもらおうとできる人です。
何の痛みも感ぜず、あるいは痛みがあってもそんなにひどいと思わなければ、病は進行します。
この御言葉でハッとした人は、霊的にむしろ健全なのです。
では、どうしたらいいのか?
土壌改善です。
それが次の「良い地」です。
以下、次回に続きます。
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自分という土壌は今どうなっているのかを確認し、神に助けを呼び求める今日として参りましょう。
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