今日のみ言葉【No.411】(2012年 9月29日)
老人たちには自らを制し、謹厳で、慎み深くし、また、信仰と愛と忍耐とにおいて健全であるように勧め、
(テトス2:2)
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テトスへの手紙は短い手紙ですが、その中で、
「慎み深く」
という語は4回も使われていて、慎み深くあることが強調されています。
日本的な感覚では、慎み深いとは引っ込み思案で内気な感じがしますが、聖書では違います。
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まず、
「そして、宴楽と泥酔、淫乱と好色、争いとねたみを捨てて、昼歩くように、つつましく歩こうではないか。」
(ローマ13:13)
とあるように、肉の働きの方向に進まないこと。
そして、
「昼歩くように」
とありますから、現実は真っ暗闇でも、イエス・キリストという義の太陽が既に登り、昼の明るい光の中を歩くかのようにこの世を生きるということです。
すなわち、慎み深く生きるとは、たとえ現状はそう見えなくても、
「神の愛が今この私に注がれている」
と受け止めて生きることです。
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ある時、隣りに座っていたOさんが祈祷会のメッセージの最中にもかかわらず、突然立ち上がり、会堂から出て行きました。
携帯電話がない時代でしたから、携帯の着信を感じて外に出たのではありません。
「メッセージで気に障ったことでもあったのかな?」
と、一瞬不安になりましたが、間もなく戻ってこられました。
後で聞くと、廊下の公衆電話で奥さんに謝ってきた、ということでした。
実は教会に来る前に、夫婦げんかをして、そのままムシャクシャした気持ちで祈祷会の席に座ったのでした。
しかし、メッセージを聞いているうちに、自分が神様にいかに愛されているかが分かってきました。
そして、
「悪いのは妻だ」
と意地を張り、怒りをため込んでいる自分でも、変わらずに神様は愛して下さっていることに気づきました。
そうしたら、Oさんは居たたまれなくなってしまったのです。
「こんな気持ちで神様の前にいてはいけない」
「妻に謝ってすっきりした姿で神の言葉を聞かねば」
という思いが湧いてきて、
「悔い改めるのは今しかない。そうだ、今すぐ電話しよう。」
と思い、行動に移したのだそうです。
もちろん奥様は許して下さいました。
はた目には大胆な行動のように見えましたが、神様に愛されていると受け止めて生きる「慎み深い」行動、と神様の目には映ったことでしょう。
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神様から愛されているという思いをいっぱいにいただき、今日一日を歩んで参りましょう。
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