今日のみ言葉【No.412】(2012年10月 1日)
この聖霊は、わたしたちの救主イエス・キリストをとおして、わたしたちの上に豊かに注がれた。
(テトス3:6)
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「血液サラサラ」という言葉は、NHKの健康番組「ためしてガッテン」が火付け役となってブームとなりました。
血液や血管の健康状態が悪くなると心筋梗塞や脳血管疾患を招きますので、最近は血液サラサラに効果のあるサプリメントや健康食品の宣伝が盛んです。
このような助けを得る以上に大事なものは、毎日の食生活です。
実は昔ながらの伝統的和食が良いのだそうです。
抗加齢医学を専門とする東京シナジークリニック院長の森田祐二医師によると、キーワードは、
「お・さ・か・な・す・き・や・ね」
です。
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・お(お茶)…緑茶のカテキン
・さ(魚)…青魚のDHAやEPA
・か(海藻)…アルギン酸
・な(納豆)…ナットウキナーゼ
・す(酢)…酢酸、クエン酸
・き(きのこ)…βグルカン
・や(野菜)…食物繊維、ビタミン
・ね(ねぎ)…アリシン
これらの食物は、血液を良好な状態に保つのに不可欠な成分を含みます。
このような基本的な食生活を続けていく中で、サプリメントや薬が効果を現すのです。
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クリスチャンの霊的健康においても同じようなことが言えます。
今日の聖句に、
「この聖霊は、わたしたちの救主イエス・キリストをとおして、わたしたちの上に豊かに注がれた。」
とあるように、聖霊はキリストを通して注がれるのです。
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聖霊を強調しすぎると、何か自分たちの努力や精進によって聖霊が得られるものだと勘違いしてしまうことがあります。
断食、徹夜祈祷、聖書通読、等の一般的に「修行・修養・訓練」とみなされることを十分にしなければ、聖霊は注がれない、と思ってしまうのです。
もちろん訓練も必要です。
しかし、修行によって聖霊が得られるとするなら、聖霊は人間が自由に操れる「パワー」に過ぎなくなります。
そうなってしまうと、聖霊は単なる「現象」になり、非人格的なものに陥る危険性があります。
聖霊なる神は、キリストの十字架を通して注がれるのです。
十字架の犠牲と無関係ではいられないのです。
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癒しにおいて考えるとわかりやすいかと思います。
神に癒しを祈り求め、癒されるのは、
「まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。」
(イザヤ53:4)
とあるように、イエス・キリストが私たちの病を代わりに負って下さったからです。
例えて言うなら、私たちが熱にうなされてボーッとしている状態を、キリストがその熱を引き受けて下さり、ボーッとした状態を味わって下さるので、私たちがスッキリする、ということです。
もしあなたが今日のランチをなぜか無料で食べられるとするなら、それは誰かがその分を支払ってくれたから、ということです。
キリストの十字架の犠牲を忘れないでいることがクリスチャンの基本です。
かといって、十字架は恩着せがましいものではありません。
イエス様は喜んでランチ代を肩代わりし、あなたの病とご自分の健康を交換し、愛ゆえに命を差し出してくださったのです。
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この基本を外さず、今日一日を歩んで参りましょう。
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