今日のみ言葉【No.1364】(2016年 9月12日) 028 「水の上を歩くペテロ」(1)

「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない」
(マタイ14:27)

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こんなジョークがあります。

ある大金持ちが開いた盛大なパーティー。彼はプールの回りにいる人々にこう語りました。

「これはオリンピック規格の正式なプールです。こちらから向こうまで泳ぎ渡った方に私の別荘の一つを差し上げましょう。ただし、プールの中にはワニがいます。」

すると、バッシャーン!という水音と共に、一人の青年がプールに飛び込み、抜き手を切って泳ぎ始めました。

周囲の人々が、「すごい」「勇気があるなあ」と言っている間に、彼はものすごい勢いで泳ぎきり、とうとう向こう岸に上がりました。

真っ青な顔で上がってきたその青年と金持ちが話をしました。

金持:「君はそんなに別荘が欲しかったのかね?」
青年:「いや何も欲しくありません」
金持:「では、何が欲しいのかね?」
青年:「欲しい物はありませんが、どうしても知りたいことがあります」
金持:「何だね。言ってみたまえ」

すると青年はこう叫びました。

「いったい誰が僕を後ろから押したんだ!」

恐怖はものすごいパワーを生み出すというお話です。

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マタイによる福音書第14章22節〜33節の記事は、「恐れ」というものがどんなに私たちに影響を及ぼすかということが書かれています。

登場人物は、イエス様と弟子たち、特にペテロです。

逆風が吹く嵐のガリラヤ湖の上を、イエス様が歩いて弟子たちの乗る舟に向かって来られました。

時は午前4時頃。まだ薄暗い時刻ですから弟子たちは「幽霊だ」と思い恐れました。

恐れと信仰は同じくらいの力を人間に発揮させます。

しかし、その方向は正反対です。

彼らのエネルギーは、

「幽霊だと言っておじ惑い、恐怖のあまり叫び声をあげた」
(マタイ14:26)

という方向に費やされていました。

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弟子たちが恐れて何もできなくなっている時に、イエス様はこう言われました。

「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない」
(マタイ14:27)

この「わたしである」という言葉は、ギリシャ語原典では「エゴー・エイミー(εγω ειμι)」と書かれています。

これは、

「わたしは、有って有る者」
(出エジプト記3:14)

と同じ言葉です。

イエス様は、何にも揺り動かされない存在としてご自分を明らかにされたのです。

弟子たちが嵐の中でこの声を聞いたように、私たちも人生の嵐の中で

「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない」
(マタイ14:27)

という御声を聞くのです。

恐れのあまり、悪い未来しか思い描けない私たちの前に、嵐の中でも生きる術(すべ)を与え、また、その嵐を静める力のある存在として、イエス様は確かに私たちのそばにいて下さいます。

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あなたが恐れて見ないようにしているものは、もしかしてイエス・キリストが近づいている姿かもしれません。

しっかり現実を受け入れ、そこで共にいて下さるイエス様と共に今日も歩んで参りましょう。

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