今日のみ言葉【No.2639】(2021年 9月28日)「右手のなえた人(3)」
そして彼ら一同を見まわして、その人に「手を伸ばしなさい」と言われた。そのとおりにすると、その手は元どおりになった。
(ルカ6:10)
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あなたはスターバックスの広告やCMを見たことがありますか?
まず無いと思います。
しかし皆さん「スタバ」という愛称で呼び、店のメニューをよく知っています。
スターバックスを訪れ、コーヒーと店の雰囲気を味わい、良いと思う人たちの口コミによってここまで知られたのです。
そこに生き生きとしたものがあり、実際に触れた人によってその命が伝えられるのは聖書の世界でも同じです。
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「あなたがたに聞くが、安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらがよいか」
(ルカ6:9)
という問いへの模範解答は
「安息日は害を与えない日ではなく、積極的に神と人に奉仕する日である」
です。
ですから、イエス様は右手のなえた人に癒やしを行うために
「手を伸ばしなさい」
(ルカ6:10)
と言われたのです。
ルカは見たままに
「そのとおりにすると、その手は元どおりになった」
(ルカ6:10)
と記録しています。
イエス・キリストの中にあるみなぎる命は、たとえ強力な反対勢力が周りにあっても、それを押しのけ、言葉通りのことを実現していくのです。
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命ある教会は律法で人を縛りません。
「礼拝厳守。日曜日は必ず仕事を休んで教会に来なさい」
などと言わなくても、人が集まってくるのです。
なぜなら、そこに神の命があるからです。
ただし、そのためには、教会の牧師にも信徒にも一段高いレベルが要求されます。
それは、パリサイ人側に転落する安楽さに絶えず抵抗し、神の命を求め続ける姿勢を保つということです。
「御言葉にこうあります」と言って律法で人を縛る方が簡単なので、意識していないとそちらの方に傾き、いつの間にか善良なクリスチャンがパリサイ人に変化してしまいます。
神の命に触れている人は、キリストによって救われた喜びを表し、愛された分を誰かに愛の行為として表します。
その神の命に人は触れたくて、また教会を訪れるのです。
人をかき集めなくても、人がかけ集まってくる教会。
私たちは神の命あふれる群れとして地上の生涯を送るのです。
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神の命を求める今日として参りましょう。
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