今日のみ言葉【No.1904】(2018年12月15日)「 動かされることはない」

2018年12月16日

Luther's_Ein_Feste_Burg
「神はわがやぐら」ルター自筆の楽譜(Wikipediaより)

神こそわが岩、わが救、わが高きやぐらである。わたしは動かされることはない。
(詩篇62:6)

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昔の町や村で一番高い建物は「火の見櫓(ひのみやぐら)」でした。

町の隅々まで見える塔のてっぺんには見張り番がいて、もし火事らしい煙が上がれば、「カンカンカン!」と半鐘を打ち鳴らし、その音を聞いた消防団が消火に駆けつけるという仕組みです。

やぐらは安心の象徴です。

宗教改革者のマルチン・ルターは「神はわがやぐら」(讃美歌267番)を作詞作曲しましたが、これは自分を鼓舞する信仰告白の讃美歌なのでしょう。

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詩篇第62篇は、ダビデがサウル王に追われているか、息子アブサロムの反逆にあった状況で詠まれたものと言われています。

どちらも自分の方から手を出せない状況です。

サウルは神が油注がれた人であり、アブサロムは愛する息子だからです。

打たれるままで逃げるしかない。

どんどん窮地に追い込まれる。

しかしその真っ最中のダビデの信仰は

「神こそわが岩、わが救、わが高きやぐらである。わたしは動かされることはない」
(詩篇62:6)

でした。

「どうせなるようにしかならない」

という開き直りでも人は落ち着きますが、それは一時的なもので、ちょっと突っつかれればまた慌てふためきます。

しかし、信仰により、神に信頼を寄せ、

「この方のもとにいれば、わたしは動かされることはない」

と信じる人は、実際に動かされても心は平安を保つことができ、動揺しないでいられるのです。

火の見櫓の半鐘が鳴れば、消火のために動かなければなりません。

体は動かされますが、

「大丈夫。早めに見つかったのだから火は間もなく消える」

と心は動かないでいられるのです。

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ネットやSNSで「炎上」という騒ぎが起こります。

問題を起こしたとされる人のコメント欄に批判が殺到することを言いますが、中には事実に基づかない悪質な書き込みも見られます。

一昔前のネットではこのような人を「荒らし」と呼び、すでに対策は出来上がっています。

それは「無視」することで、反論したりせず、一切相手にするなということです。

クリスチャンは神にゆだねます。

そう決心すると、心は平安になります。

すると神様から、「ここは動きなさい」と命ぜられる場面が出てきます。

その時は必死になって動かなければなりません。

火事にたとえて言えば、今消火器を使わなければ大火事になるというシーンでしょう。

その時は動きますが、それ以外のことはせず、後は大岩であるキリストのもとにとどまり続けるのです。

やがてわかります。

根が無いものは枯れるのです。

そして、人は自分が一番得意とする所で失敗しますから、テクニックを使って勝ってきた人は、それ以上のテクニックを持った人に打ち負かされていくのを見ます。

全て背後に神の大きな働きがあるのです。

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「神こそわが岩、わが救、わが高きやぐらである。わたしは動かされることはない」
(詩篇62:6)

この御言葉の力を味わうために、まず神にゆだねる一歩を進めて参りましょう。

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