今日のみ言葉【No.2634】(2021年 9月21日)「右手のなえた人(1)」
また、ほかの安息日に会堂にはいって教えておられたところ、そこに右手のなえた人がいた。律法学者やパリサイ人たちは、イエスを訴える口実を見付けようと思って、安息日にいやされるかどうかをうかがっていた。
(ルカ6:6-7)
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日曜・祝祭日に急に具合が悪くなったらどうしたらいいのでしょう?
休日当番医のところへ行くでしょう。
では、高血圧や糖尿病等の慢性疾患の人が、
「どれ、ちょっと診てもらいに行くか」
と言って休みの日に救急医療の場所へ行こうとしたら、きっとあなたは
「何も今日行かなくてもいいでしょう。明日、いつものかかりつけ医のところに行くまで我慢できないの?」
と言うのではないでしょうか。
これと同じ論理でパリサイ人は動いていました。
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前回までの麦畑の話の結論は、命は律法に優るのだから、安息日を守る掟よりも命を守る方を優先すべきであるということで、パリサイ人の負けは確定しました。
今回はその続きの話で、
「では、命にかかわるほどの緊急事態でない場合はどうなのか」
という追求をパリサイ人らが仕掛けた箇所です。
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イエス・キリストから学ぼうとする態度ではなく、欠点を探そうとする態度でつけ狙っていた彼らは、イエス様一行が行くところ、どこへでもついて回っていました。
彼らは、イエス様が
「安息日に会堂にはいって教えておられた」
(ルカ6:6)
のを見ました。
「イエスを訴える口実を見付けようと思って」
(ルカ6:7)
いた彼らにとって、これは千載一遇のチャンスでした。
ちょうどそこに、右手のなえた人がいたからです。
会堂に来ていること自体、重い病気にかかっているわけではないことをし示しますし、また、イエス様が
「その手のなえた人に、『起きて、まん中に立ちなさい』」
(ルカ6:8)
と言われると、反応できたことから耳が聞こえることがわかります。
そして、ちゃんと起きて立つことができる人です。
つまり、右手が動かないという不自由さはあっても、それ以外の面で彼は健康だったということです。
右手がなえているのは慢性の病であって、緊急性はないと判断できます。
それならば、
「何も今日の安息日に特別に癒やしをする必要性はないのではないか」
という主張はおかしくは聞こえません。
安息日に働くことに関して、麦畑では負けましたが、今回は勝てる見込みは十分です。
彼らは虎視眈々と
「安息日にいやされるかどうかをうかがっていた」
(ルカ6:7)
のです。
これに対して、イエス様は癒やしをなさったのでしょうか?
それとも癒やしは明日にすると言われたのでしょうか?
以下、次回に続きます。
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主イエス・キリストの言葉は常に正しいことを心に覚えておきましょう。
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