今日のみ言葉【No.2553】(2021年 6月 4日)「郷里ナザレでの拒絶(3)」
そこでイエスは、「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」と説きはじめられた。
(ルカ4:21)
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子供の頃、古い年から新しい年になる瞬間を体験したくて、大晦日に夜ふかしをした思い出があります。
時計の針が午前0時を指した瞬間、「あけましておめでとう!」と言い交わし、それが済むとさっきまでの興奮はどこへやら。
どっと眠気が襲ってきて、さっさと布団に潜り込んだのは、もう新年が来てしまったので、それを待ち望む必要がなくなったからです。
ナザレの人々も、興奮とそれに続く冷めた気持ちの両方を持ちました。
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前回触れたイザヤ書第61章1節〜3節はメシア預言です。
イエス様はこの箇所を読まれ、
「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」
(ルカ4:21)
と言われました。
成就したとはどういうことでしょうか?
ルカ4章18節〜19節でイエス様が引用されたイザヤ書第61章1節〜2節をもう一度読んでみましょう。
「主の御霊がわたしに宿っている」
とは、イエス様本人に神の霊が宿っているということです。
「主はわたしをつかわして、…、主のめぐみの年を告げ知らせるのである」
とは、ご自分が神から遣わされた者であり、今、その神の恵みの言葉をナザレの聴衆に向けて読んでいるということです。
つまりこれは、
「私こそ旧約聖書で預言されていたメシアですよ」
という宣言です。
しかもそれは「あなたがたが耳にしたこの日に」ですから、ナザレの聴衆が今聞いているこの瞬間に成就したということです。
ただし、イエス様はイザヤ書61章2節の
「われわれの神の報復の日とを告げさせ」
を読んでおられません。
これはイエス様の再臨で成就されることなので、初臨である今回は取り上げられませんでした。
イエス様は極めて厳格に聖書箇所を選ばれ、現在起ころうとしていることを語られたのです。
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ナザレの人々はもう救い主の到来を待ち望む必要はありません。
なぜなら、イエス様が説教されたこの日に、神の福音の知らせが自分たちのところにやってきたからです。
「すると、彼らはみなイエスをほめ、またその口から出て来るめぐみの言葉に感嘆して」
(ルカ4:22)
となるのは当然です。
ところが、喜びの雰囲気の一方で、このような不穏な声も聞こえてきます。
「この人はヨセフの子ではないか」
(ルカ4:22)
キリストの神性でなく、人性、それもグッと低い人間的レベルで揶揄する声が発せられました。
以下、次回に譲ります。
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すでに私のもとに福音が届けられていることを信じ、その生き方で今日の一日を歩んで参りましょう。
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