今日のみ言葉(2012年 5月9日)【No.301】
ペテロが言った、「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。
(使徒3:6)
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この御言葉を読んで、「イエス様を信じているけれど、とてもこんな奇跡は行えない」
と、聖書をパタンと閉じてしまったことがありました。
神を信じているなら凄いことが出来て当たり前。でなければ偽物…、と当時の私は思っていたからでしょう。
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神の奇跡にはその後に示すものが必ずあります。
この奇跡をきっかけとして人々が集まりだし、ペテロの大説教が始まります。
そして、
「だから、自分の罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて本心に立ちかえりなさい。」
(使徒3:19)
という救いと悔い改めのメッセージが語られ、
「彼らの話を聞いた多くの人たちは信じた。そして、その男の数が五千人ほどになった。」
(使徒4:4)
という結果となりました。
生れながら足のきかない男が立ち上がり、踊り出したという奇跡は、救い主の到来を示し、多くの人を神に立ち返らせたのです。
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あなたにあるものとはなんでしょう?
奇跡を行う力でなくてもよいのです。神様からお預かりした何かです。
体力であったり、赦しの体験であったり、才能という賜物であったり、様々です。
それを差し上げたり、分かち合ったりすることがペテロと同じ業をなすこととなるのです。
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私は教会に行き始めの頃、タダで飲めるコーヒー目当てに行っていました。
英語クラスの後にチャペルタイムがあり、挽きたてのコーヒーが1杯100円で飲めるのです。
ケチな私は、
「コーヒー、最後の余っているものですみませんが、飲んでいただけます?」
とスタッフの方がすすめてくれそうな頃合いを見計らって教会の玄関に入り、
「ああ、いいですよ。タダなら飲んであげますよ。」
と傲慢な態度で応じていました。
ス:「おさとうはおいくつですか?」
私:「いえ、いりません」
ス:「じゃ、角砂糖2つ入れておきますね」
私:「あ、1つにして下さい」
こんなやりとりをしながら、私はスタッフの方の愛に支えられて教会につながっていたようなものです。
お金や食べ物や物品でつながった人間関係は、それが無くなると自然と切れてしまいます。
しかし、愛でつながった関係は切れることはありません。
私たちには人に差し上げるだけの金銀はないかも知れません。
しかし、神様からいただいた愛を分かち合うことは出来ます。
その愛こそ、「わたしにあるもの」なのです。
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わたしにあるものを見出して参りましょう。
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