今日のみ言葉【No.309】(2012年 5月18日)
「わたしがヨッパの町で祈っていると、夢心地になって幻を見た。大きな布のような入れ物が、四すみをつるされて、天から降りてきて、わたしのところにとどいた。
(使徒11:5)
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今日の聖句は、異邦人にも聖霊が下ったことを、ペテロがエルサレムの使徒たちに説明しているところです。
彼は自分が体験したことをありのまま語っていますが、特に、
「夢心地になって幻を見た」
とはっきり言っています。
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しばしば、
「そんなの夢でも見たんじゃない?」
「いつまでも夢ばかり追っかけてないで、現実を見たらどう?」
と、夢が否定的に扱われることがあります。
ペテロは夢心地になって神の幻を見ました。
救いが及ばないはずの異邦人が神の救いの対象になっていたのです。
それは彼の常識を遙かに越えるものでした。
しかし、異邦人コルネリオの使いが現実にやってきた時、
「まさか」と思うか、「やはり」と思うかが運命の分かれ道です。
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翌日、
「ペテロは立って、彼らと連れだって出発した。」
(使徒10:23〜
とあります。
この
「立って」
という言葉が大事なのです。
「立つ」とは「復活」(アナスタシス)と同じ言葉です。
古い自分に死に、新しく神の命によって生きることです。
すなわち、常識に縛られている自分に死に、その殻を破って新しい命に生かそうとされる神の幻を選択して進んでいくことです。
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今年、山形県鶴岡市の児童養護施設「七窪思恩園」が「石井十次賞」を受賞しました。
石井十次は、明治時代、岡山で日本最初の孤児院を創設したクリスチャンです。
福祉という言葉もない時代、その運営は困難を極めましたが、彼は孤児を預かり、立派な人物に育てることが神の使命と信じました。
1905(明治38)年、東北地方は岩手、宮城、福島三県を中心に大凶作に見舞われました。
彼は東北の孤児たちを岡山に受け入れようとしますが、折も折、腸チフスという重病にかかってしまいます。
1ヶ月にわたる闘病中、彼は幻を見たのです。
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イエス様が大きなかごを背負って現れました。そのかごには数百人の子どもがいっぱいに入っています。
それなのに後ろに20人ほどの大人がいて、なおも外に残っている200〜300人の子どもを次々とイエス様のかごに中に押し込んでいたのでした。
溢れている子どもたちを全部入れ終わると、イエス様は「もう済んだのか」と仰り、静かに立ち上がりました。
そして、十次もそのイエス様のかごに手を掛け手伝って運んだ、という幻です。
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十次は、この幻をこのように受け取りました。
「自分は大勢の子が次々と来てどうなるか心配しているけれど、
『孤児院を背負っているのはお前ではなくキリストだ。お前は、孤児院は狭くてもう子どもを入れることはできないと思っているが、今見たとおりいくらでも入る。お前は心配せずにありたけの力を出してかごの底に手を掛けて手伝いさえすればよい』
と黙示をもって教訓を垂れたもうた」のだと。
東北地方から800名以上の孤児が収容され、岡山孤児院は1200名の孤児たちでいっぱいになりましたが、神様の手によって何度も危機を乗り越えました。
石井十次は生涯、3000人以上の孤児を世話し、48歳で神のみもとに帰っていきました。
※石井十次の話は荒川教会HPから引用させていただきました。http://www2.plala.or.jp/Arakawa/christian10.htm
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あなたに与えられた夢と幻を大切に扱いましょう。神は時至り、現実を動かして下さいます。
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