今日のみ言葉(2012年 3月2日)【No.253】
ところが、目をあげて見ると、石はすでにころがしてあった。この石は非常に大きかった。
(マルコ16:4)
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今日の聖句は復活の朝の場面です。
イエス様が十字架で息を引き取られたのが金曜日の午後3時頃。それから日没までの僅かの時間に、
「イエスをとりおろして、その亜麻布に包み、岩を掘って造った墓に納め、墓の入口に石をころがしておいた。」
とあります。
ユダヤでは金曜の日没から安息日が始まるので、葬りに最小限のことしかできなかったのです。
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安息日が終わり、日曜の早朝、女たちはイエス様の遺体に香料を塗るつもりで出かけました。
しかし墓を封印した大きな石は女性たちの手では動かせそうにありません。
ですから、
「だれが、わたしたちのために、墓の入口から石をころがしてくれるのでしょうか」
と話し合っていました。
理性的に考えれば、石を動かす準備をしてから来るか、石は動かせないから、とあきらめるものでしょう。
しかし彼女らはイエス様に会いに行きたかったのです。
そこで思わぬ神の栄光を目にすることになりました。
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人生には「神の介入」ということがあります。
神の方から私たちに会って下さろうとして、生活の中に入ってこられるのです。
そのための条件は、私たちが神様の「コンコン」というノックの音を聞いた時、心の扉を開くことです。
「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。」
(黙示録3:20)
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復活の朝の女たちは、
「あんなに大きな石があるから、どうせ行っても無駄だ」
とは思いませんでした。
無理かも知れない、と思っていると顔はうつむき加減になり、目は伏せがちになります。
しかし女たちは、「目をあげて見ると」とあるように、顔を上げました。
「無理でも構わない。イエス様にお会いしたい」
と、心の扉を全開にして向かったのです。
そして、
「石はすでにころがしてあった」
という神のみわざを見たのです。
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神のノックの音に耳を澄ませて参りましょう。
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