今日のみ言葉【No.1435】(2016年12月13日) 052 「イエスを三度否んだペテロ」(2)
するとすぐ、にわとりが二度目に鳴いた。
(マルコ14:72)
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目覚まし時計のアラーム音が鳴っていたのに気づかなかった、ということはありませんか?
アレッ!と思った時にはもう時間ギリギリ。おかしいなあ…。
しかし、思い起こせば、「あ、やっぱり鳴ってた」と心当たりがあります。
人間は聞こえていたのに気づかないということがあるのです。
ペテロはまさにその状態でした。
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ペテロが3回キリストを否定した直後、
「するとすぐ、にわとりが二度目に鳴いた。」
(マルコ14:72)
とあります。
しかし興味深いことに、1度目ににわとりが鳴いたという記述がありません。
ペテロは聞いてはいましたが、聞こえなかったようです。
自分のことを自分で何とかしようとするあまり、心の中に届かなかったのでした。
試練や問題に対して、自分の力で解決しようとそればかりが心の中を占めていると、神のサインは目にも耳にも入って来ません。
実際は見えていますし、聞こえていますし、記憶にもあることです。
すぐそばにある神のメッセージに気づくためには、ペテロのように挫折を経験し、立ち止まらなければならない時があります。
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E姉が教会の門を叩いた時は、八方塞がりの時でした。
彼女は離婚後、シングルマザーとして収入を得るために営業の世界に飛び込みました。
全く自信がなかったEさんは、自信をつけるには売上を上げることだ、と、自分をたたき、周りをたたき、頑張りました。
その成果が出て、責任ある立場に登用され、お店は拡張。もちろん売上は右肩上がりです。
しかしやがてその歪みは人間関係に現れてきました。
周囲の人たちを
「それでどうする。もっと頑張れ!」
と叩いてきた結果、職場の人間関係はボロボロ。
そして、我が子のために始めたはずの仕事だったのに、その延長で子どもにも頑張りを強制したせいで、親子関係が最悪になっていることに気づかされました。
Eさんは教会に来て、我力で突っ走ってきた自分の姿に気づきました。
もちろんその時は他に方法が見えず、無我夢中、ガムシャラにならざるを得ない自分でしたから、弁護できる理由はあります。
しかし彼女は神の存在を知り、自分の力のみで神を無視してきた生き方を罪と認めました。
とことんまで行き詰まったお陰で、手放すことは意外とあっさりとできたのです。
その後のE姉が、神の愛を徐々に身につけ、愛の人として成長していることは言うまでもありません。
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人間の行き詰まりは、神の愛に気づくスタートラインです。
問題を見続ける目の方向を天に変え、神の御声に耳を傾ける一日として参りましょう。
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