今日のみ言葉【No.2202】(2020年 2月17日)「キリスト教イロハ(48)『苦難』」
神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。
(第2コリント1:4)
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中国の武漢で発生した新型コロナウイルスは、2020年の先行きに暗い影を落としています。
治療法は?収束はいつになるのか?経済活動への影響は?東京オリンピックは開催されるか?等の様々な否定的考えが湧いてきます。
聖書はこのような「苦難」をどうとらえているのでしょうか。
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聖書では第一番目に、苦難とは人間の罪に対する罰であると考えられています。
「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る」
(創世記3:17)
病気や今回のような疫病は、アダムとエバが罪を犯し、堕落した世界に我々は生きているのだということを意味しています。
しかし、この罰は罪から自由になるための訓練だとも考えられます。
つまり、苦難を通して神は人間を悔い改めに導こうとされているのだ、というのが苦難の第二番目の意味です。
出エジプト記で神はエジプトの王パロに対して十の災いを下します。
それは、災いを受けることによって彼の心が変わり、イスラエルの民を解放するように方向転換させるためでした。
その一つに家畜に対する疫病があります。
「主の手は最も激しい疫病をもって、野にいるあなたの家畜、すなわち馬、ろば、らくだ、牛、羊の上に臨むであろう」
(出エジプト9:3)
この疫病は人間には及びませんでした。
「わたしがもし、手をさし伸べ、疫病をもって、あなたと、あなたの民を打っていたならば、あなたは地から断ち滅ぼされていたであろう」
(出エジプト9:15)
神はそのようにできたのですが、そうはなさらず、パロをはじめエジプトの民を生きながらえさせ、悔い改めるためのチャンスを与えられたのです。
旧約聖書には、苦難の中にある民が悔い改めて神に従う時、その苦難から救い出される記事が数多くあります。
苦難は罪ゆえの罰ではありますが、神はその中に「悔改めよ。そして生きよ」というメッセージを込めておられるのです。
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新約聖書においては、イエス・キリストが人間の罪を負って苦難を受け、それによって人間の罪が赦されるというメッセージが伝えられています。
だからと言って人間の苦難が一挙に無くなるというわけではありません。
苦しみが全く無くなるのは私たちが天に移された時であり、その時に救いが完成するのです。
しかし、イエス・キリストを自分の罪からの救い主と信じる者にとっては、同じ苦難が違う意味を持って受け取られるようになります。
それは、
「神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり」
(第2コリント1:4)
とあるように、神の慰めをいただく時となるということです。
苦難は無くなりません。
イエス様が
「あなたがたは、この世ではなやみがある」
(ヨハネ16:33)
と言われている通りです。
しかし、苦難を通されるたびに、そこで必ず心身共にジワ~っとくる神の慰めを体験するのです。
その神の慰めを味わった人は、
「また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである」
(第2コリント1:4)
となっていきます。
神は苦難を通してあなたを愛の人へと変えて下さるのです。
神は苦難を通して良きことを始められます。
これが苦難の第三の意味です。
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皆様がお読みのこの御言葉メールが、その神が始められた良きことの一例です。
2011年の東日本大震災の直後、電気は停電、ガソリンは無いという状況に加え、私は原発の事故による放射能の恐怖に怯えて何もすることはできませんでした。
しかし、
「外には出られない私だけれど、今ここでできることがあるはずだ。いや、せねばならぬ」
という思いに駆り立てられ、私ができる僅かなこととして御言葉を記した短いメールを、同じように外に出られず、教会に来ることができない方々宛に送信しました。
「なんとかして励ましてあげたい。臆病な私でもできることはメールだ」
神が私の心の内にそのようなアイディアを与えてくださったのだと思います。
あれから9年がたとうとしています。
今日現在で御言葉メールは1100名を越す方々に送信され、Webサイトの方では毎日平均150名の閲覧者があり、それらの方々が他の人へ転送したり転載したりしておられることを考えると、一体何人の人がこのメールをお読みになっているのかわからないほどです。
神は地震という災害を通し、今まで無かった良きわざを現されたのです。
苦難を通して新しい良きことを始められる神に目を向けることが、苦難の中で生きる私たちが目指すべき在り方なのです。
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神の慰めを存分にいただき、良きことを見出す一日として参りましょう。
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