今日のみ言葉【No.2201】(2020年 2月15日)「苦しみの中での慰め」
主が苦しむ者の苦しみをかろんじ、いとわれず、またこれにみ顔を隠すことなく、その叫ぶときに聞かれたからである。
(詩篇22:24)
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徳川時代の過酷なキリシタン迫害の描写が極めて忠実になされています。
苦しみにあった時、人は抑えていたとしてもうめきと叫びが出てきます。
その時、神は沈黙されているようにしか思えませんが、神の遠大なご計画の中でその叫びは聞かれていると聖書は語ります。
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苦しみの叫びから始まった詩篇第22篇は、後半で神は見捨ててはおらず、神の守りがあったと語っています。
「主が苦しむ者の苦しみをかろんじ、いとわれず、またこれにみ顔を隠すことなく、その叫ぶときに聞かれたからである」
(詩篇22:24)
試練のただ中にいる時は、この苦しみは永遠に続くように思われ、まわりの人たちから励ましと慰めを受けても、それは安全地帯にいる人たちからの気休めに過ぎないと感じ、腹が立つことさえあります。
それだけ追い詰められ、余裕がなく、神経が研ぎ澄まされた状態に置かれているのです。
この詩篇の作者のダビデはそのような苦しみを感じ、また預言的な意味で救い主メシアが味わう苦難を記しました。
ダビデは詩篇第22篇ををこのように始めています。
「わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか」
(詩篇22:1)
新約聖書でマタイはこの預言がダビデから千年後の十字架上で成就したと証言しています。
「そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』と言われた。それは『わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか』という意味である」
(マタイ27:46)
つまり、祈りが聞かれず、どこからも助けがないというあなたが味わっている苦しみを、イエス・キリストも共に味わったということです。
私たちの苦しみの理解者であるイエス・キリストと共に生きる時、私たちの苦しみは緩和されます。
誰か一人でも「私のことを心底わかってくれる人がいる」という存在があれば、人は生きていけるものなのです。
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苦しみの中に、慰めと希望を見出す一日として参りましょう。
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