今日のみ言葉【No.2030】(2019年 6月10日)「聖書の読み方(10)」
エズラは心をこめて主の律法を調べ、これを行い、かつイスラエルのうちに定めとおきてとを教えた。
(エズラ記7:10 )
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教会に来たての頃、週報の日付のスタンプ押しの奉仕をしました。
先輩から
「心をこめて押しましょう」
と言われましたが、私は工学部の学生でしたので曖昧な表現は苦手です。
「心をこめて押すとはどういうことか?」
と解釈に苦しみ、試行錯誤したあげく、
「上から10センチ、左から2センチの場所に均一の圧力で水平に押す」
作業を機械のように正確に行うと、要求が満たされることを発見しました。
「心を込めるとは機械のようになることか」
と妙な思いをした覚えがあります。
さて、心をこめて聖書を読むとはどういうことでしょうか?
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心をこめて聖書を読むということは、丁寧に読んでいくとか、やさしい気持ちで読む等の読み方以上のことがあります。
バビロン捕囚から帰還し、これからは本当に正しく聖書を読まねばならぬと決意した学者エズラは、
「エズラは心をこめて主の律法を調べ、これを行い、かつイスラエルのうちに定めとおきてとを教えた」
(エズラ記7:10 )
としました。
補囚として異国に70年暮らす間、イスラエルの民は次の2つの問を自らに問いかけました。
(1)我々は何者か?
(2)神を信じて生きるとはどういうことか?
最初の問はアイデンディティー(Identity)であり、次の問はライフスタイル(Life style)を問うものです。
エズラが心をこめて主の律法を調べたのは、この2つの答を得るためです。
つまり、神を信じるという私たちは何者なのかということと、神を信じて生きるとは具体的にどういう生活をしたらいいのか、ということです。
古代イスラエルは、絶えず変化する歴史的状況の中で、この質問を繰り返し、正典としての聖書と対話してきました。
心をこめて聖書を読むとは、この2点を意識して読むことです。
そうすると、聖書はあなたに語りかけてくれます。
なぜなら、聖書はその答が得られるように編集され、書かれているからです。
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K姉は人生の後半に入り、「自分の人生はこれで良いのか」と考えたことがきっかけで、教会にその答を見出しに来られました。
しばらく通い、礼拝メッセージを聞き、聖書の学びもなさいましたが、なかなか洗礼まで決心がつきません。
昭和の義理人情の価値観が残るKさんは、「先生方にはお世話になっているから…」という理由で受洗してもいいかと内心考え出しました。
道がわからなくなったり、自分でも逸れているのではないかと感じだした時は聖書を読むことです。
K姉は聖書を開き、読んでいると、
「御霊で始めたのに、今になって肉で仕上げるというのか」
(ガラテヤ3:3)
という御言葉が目に飛び込んできました。
Kさんはガタガタっと震えました。
神様が直接自分の心に語りかけているように感じたのです。
「そうだった。私は祈って始めたのに、今、苦しくなって、手っ取り早く肉で仕上げようとしているのだ」
と気づき、彼女はそれから聖書を丹念に読み始め、祈り、聖霊様の声を求め始めました。
K姉は、自分で教会の門をたたいたつもりだったが、神様から導かれて教会に来たことを納得できました。
そして、我が子として迎えてくださる父なる神に愛されている者だということも素直に信じられました。
この神に信頼し、周りの人々を愛し、助けていくための人生だということも見えてきました。
彼女は霊なる神の導きによって、洗礼を受け、確かなクリスチャン生活を送っておられます。
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聖書の中に、自分のアイデンティティーとライフスタイルを求めて読む今日として参りましょう。
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