今日のみ言葉【No.1913】(2019年 1月 9日)「慰めの暖かいシャワー」

2019年1月9日

預言者イザヤ

あなたがたの神は言われる、「慰めよ、わが民を慰めよ、ねんごろにエルサレムに語り、これに呼ばわれ、その服役の期は終り、
そのとがはすでにゆるされ、そのもろもろの罪のために二倍の刑罰を主の手から受けた」。
(イザヤ40:1-2)

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今日の聖句はイザヤによって語られた慰めのメッセージです。

バビロンに捕囚され、年月がたち、イスラエルの民に帰還の望みどころか、この異国の地で生きなければならないのだと考えていたところにこの預言がなされました。

ここでは補囚の民の回復と新しい出発が語られていますが、この預言はその時代だけのものではなく、この世の終末時の未来のことでもあります。

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神の慰めのメッセージには3つのポイントがあります。

(1)「その服役の期は終り」

バビロン捕囚はイスラエルの民の反逆に対する神からの裁きでした。

しかし、神の裁きによる苦しみの時には神の定められた期間があるのです。

苦難には必ず終わりの時があります。

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(2)「そのとがはすでにゆるされ」

とが(咎)とは辞書で見ると「人からとがめられるような行為、過失、欠点」とありますが、「罪咎」と二つ並べられた場合、罪のほうが意識して犯したことで、咎は知らずに犯している罪と考えると良いかと思います。

自分は何も悪いことはしていない、と思って人は平然と生きていますが、結構周りの人の心を傷つけているものです。

イザヤは、罪はもちろん咎もゆるされたと告知します。

これはイザヤの時代よりもずっと後、数百年後にこの世に来られたイエス・キリストの十字架によって明確なものとなります。

キリストを信じることにより、私たちの罪咎全ては赦されるという福音です。

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(3)「そのもろもろの罪のために二倍の刑罰を主の手から受けた」

イザヤ書40章のこの箇所は、誰が誰に向かって語っているのかを決める人称設定が難しいところです。

口語訳ではイスラエルの民がバビロン捕囚によって「二倍の刑罰を主の手から受けた」かのような印象を受けますが、それでは罰の受け過ぎです。

他の聖書訳を見ると、

「そのすべての罪に引き替え、二倍のものを主の手から受けた」(新改訳)

「罪のすべてに倍する報いを主の御手から受けた」(新共同訳)

とありますから、これは罪の刑罰をキリストが代わりに負ってくださり、それだけでなく、キリストが持っていた祝福が交換という形で人間にもたらされるという意味に受け取るのがよいと思われます。

神は人間に新しい祝福を用意してくださっているのです。

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イザヤ書の慰めを受け取るということは、神の霊的シャワーを浴びるようなものです。

それは私たちの罪咎を洗い流し、心を暖めてくれます。

キリストの十字架がその源泉であることを覚え、今日もまた感謝の一日を送って参りましょう。

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