今日のみ言葉(2012年 1月26日)【No.228】
「この青年はイエスに言った、『それはみな守ってきました。ほかに何が足りないのでしょう』。」
(マタイ19:20)
——————
この場面は、ある青年が永遠の命を得るためにはどうすればよいのかとイエス様に尋ねに来たところです。
ただし、彼には先入観がありました。
それは彼の質問が、
「どんなよいことをしたらいいでしょうか」。
となっていることからわかります。
-*-*-*-*-*-*-
イエス様は彼の気持ちを見抜き、
「もし命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい」
と、律法を守ることを促します。
すると待ってましたとばかりに青年はこう答えるのです。
「それはみな守ってきました。ほかに何が足りないのでしょう」
それでも足りない気がするのであなたに聞きに来ました、という思いをぶつけてきたのです。
イエス様は彼の足りないものをこう指摘されました。
「帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。」
残念ながら、この青年は
「悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。」
と聖書は記述しています。
この青年は、自分のできる範囲内でするだけのことをしていました。いわゆる「正しい生き方」を実行していたのです。
しかし、正しく生きるということと、神と共に生きるということは別物です。
キリストの福音が力となり喜びとなる時とは、自分の立場を捨て、失う痛みを経験する生き方を実行する時です。
-*-*-*-*-*-*-
ここで、
「よし、今日から自分の立場を捨て、失う生き方をするぞ!」
と力んでやると失敗します。
それはこの青年の今までの生き方を追求するようなものだからです。
口先では、自分を捨てる、などということができます。
しかし実際は出来ないのです。
-*-*-*-*-*-*-
正しく生きようと思ってもそうすることが出来ない弱さに気づきましょう。
そして、神を後方に遠く置き去りにして、自分の力で正しくなれると思う自分の罪に気づきましょう。
その弱さと見当違いの方向に向かせる罪を赦して下さるキリストの十字架のもとに、自分のスタートラインを置くのです。
そこから、神と共に生きる、すなわち、
「人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである」
(マルコ10:27)
という御言葉と共に生きる人生が始まるのです。
-*-*-*-*-*-*-
神様は今日もあなたと共に歩んで下さいます。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません