今日のみ言葉(2012年 1月27日)【No.229】
「イエスは答えて言われた、『あなたがたは、自分が何を求めているのか、わかっていない。わたしの飲もうとしている杯を飲むことができるか』。彼らは『できます』と答えた。」
(マタイ20:22)
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いつの時代も子供の祝福を願わない親はいません。
ヤコブとヨハネのお母さんもその一人です。ただ、この20章では勇み足をしたようでした。
二人の息子を、将来、イエス様の右と左に座らせて下さい、とお願いしたのです。
つまり、イエス様が天下を取った暁には、右大臣左大臣にお引き立てをお願いします、ということです。
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イエス様はこれに対して、
「わたしの飲もうとしている杯を飲むことができるか」
と問われました。
これは、十字架につけられるほどの重罪人でも、その苦痛があまりにもひどいので、磔(はりつけ)の苦しみを和らげるために差し出されるぶどう酒のことです。
ゼベダイの子らの母は、出世とこの世の栄達しか見えていませんでした。
しかし、イエス様に従っていく事は十字架につくことだ、と後に彼女ははっきりと悟ります。
なぜなら、彼女はイエス様の十字架の目撃者となったからです。
「その中には、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、またゼベダイの子たちの母がいた。」
(マタイ27:56)
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私たちが神の存在を知らされ、疑問を抱きながらも神と共に歩もうとする時、ほとんどの人はとんちんかんな方向に向いているのです。
しかし、イエス様はその事をお責めになりません。
後になってわかる時のために、今のこの時、御言葉を残して下さっているのです。
全ての聖句を今理解できるとは限りません。多くの難解な点があり、また、受け入れることのできない個所もおありでしょう。
私たちの人生の体験が増し加えられるその都度、御言葉が開け、その時でなければならない光が放たれ、人生の闇路を歩く灯火となってくれるのです。
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「み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。」
(詩篇119:130)
今日も聖書の神の言葉に触れ、み言葉を積み重ねて参りましょう。
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