今日のみ言葉【No.1830】(2018年 9月 7日)「 種まきのたとえ(5)」

また、良い地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞いて受けいれ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのである
(マルコ4:20)

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先月末に「今年のカボチャは大不振」と書きましたが、猛暑の夏が終わり、気温が落ち着いて天からの慈雨が降ってくると畑の様子は一変しました。

あれからカボチャを5個収穫しています。しかもまだ実はなっています。

茶色になって枯れ果てたと思っていたキュウリも生り出しました。

春に耕し、肥料を施したフカフカの土壌に根を置いた野菜たちは、枯れるどころかいつ実を結ぼうかと機会をうかがっていたのです。

「良い地」とはこういうものかと実感しています。

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種まきのたとえの最後は良い地です。

「ほかの種は良い地に落ちた。そしてはえて、育って、ますます実を結び、三十倍、六十倍、百倍にもなった」
(マルコ4:8)

これは神の御言を聞いて受け入れた人たちのことだとすぐわかります。

一つ聞いたことを実行して「三十倍、六十倍、百倍」の成果を上げる人のことかも知れませんし、一つ聞いたことを100人の人に話す人のことかもしれません。

「良い地」の人は神の御言に応答し、それを増やし、成長させるのです。

ただし、良い地にまかれたからといって苦労知らずで育つとは限りません。

他の種と同じように、日照りや干ばつ、嵐を体験させられます。

私のガーデニングと同様、枯れたと見えるような状況を通らされることもあるのです。

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聖書の中で「うつ状態」になった人たちはたくさん見受けられます。

特に「まさかあんなに強い人が!うつ?」という人を挙げれば、旧約ではエリヤ、新約ではバプテスマのヨハネです。

人は全力で物事を成し遂げ、完成を確認した後、うつに陥ることがあります。

強く、鉄人に見える人、創造的な人ほどその傾向があるように思えます。

旧約聖書では預言者エリヤがその人でした。

彼はカルメル山でのバアルの預言者たちとの対決に大勝利を収めます。

神が彼と共におられることがはっきりしたのですから、「何があっても大丈夫」と平安でいても良いはずが、その直後、王妃イゼベルの怒りを知り、彼は逃げ出してしまいます。

「そこでエリヤは恐れて、自分の命を救うために立って逃げ」
(列王紀上19:3)

うつになると人との関わりを避け、孤独になろうとします。エリヤもそうです。

「ユダに属するベエルシバへ行って、しもべをそこに残し、自分は一日の道のりほど荒野にはいって行って、れだまの木の下に座し」
(列王紀上19:3-4)

うつの人は自殺願望を持ちますが、その通りのことが記されています。

「自分の死を求めて言った、『主よ、もはや、じゅうぶんです。今わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません』」
(列王紀上19:4)

カラカラに干からびたエリヤの心を、神は御使いを差し向け、徐々に力づけて下さいました。

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バプテスマのヨハネは、当時、ずっと上の身分に見られていたパリサイ人やサドカイ人たちに対しても

「まむしの子らよ、迫ってきている神の怒りから、おまえたちはのがれられると、だれが教えたのか」
(マタイ3:7)

と説教したくらいの激しさと強さを持っていた人でした。

そして自分がイエス・キリストに洗礼を授けるのだとわかった時、

「わたしこそあなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたがわたしのところにおいでになるのですか」
(マタイ3:14)

と、この方こそ救い主(メシヤ)であることを認めていました。

ところが、領主ヘロデ・アンティパスによって捕らえられ、地下牢で約2年間を過ごす内に心が弱ってきました。

彼は自分の弟子をイエス様のもとに遣わし、こう尋ねさせました。

「『きたるべきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」
(マタイ11:3)

弟子たちから伝え聞くイエス様の活動が、彼がメシヤとして想像していた「威厳ある大王」のイメージからかけ離れていたからです。

これに対してイエス様はペテロに対して言ったように

「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」
(マタイ14:31)

とはおっしゃいませんでした。

代わりに、

「行って、あなたがたが見聞きしていることをヨハネに報告しなさい。盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている」
(マタイ11:4-5)

と語り、救い主が到来したらこのようなことを行うと旧約聖書で預言されている通りのことが起きているよ、と伝えさせました。

そして、落ち込み、気力を失い、絶望しているであろうヨハネに対して

「わたしにつまずかない者は、さいわいである」
(マタイ11:6)

と最後に言われましたが、それはこういう意味です。

「私の仕事のやり方に当惑しない者はさいわいだ」

「『スケジュール通りにやっている』。彼にそう言いなさい。『計画通りに進んでいる』彼に動揺するなと言ってくれ、彼が予想していたようには私はやっていないのだから」
(『落ち込んだら − 正教会司祭の処方箋171』、アントニー・M・コニアリス著、株式会社ヨベル、P253)

イエス様は枯れそうなヨハネの心に命の言葉を注いでくださったのです。

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良い地に落ちた種は必ず実を結びます。

あなたという良い地に御言の種がまかれているなら、それは必ずどこかで芽を吹き、表に形となって現れます。

批判や心無い言葉の嵐にさらされ、心傷ついて落ち込み、心が干からびた状態になっていたとしても

「木には望みがある。たとい切られてもまた芽をだし、その若枝は絶えることがない」
(ヨブ記14:7)

とあるように、また息を吹き返し、成長し始め、実をならせる時がやって来るのです。

良い地であることだけを心がけましょう。

「わたしは植え、アポロは水をそそいだ。しかし成長させて下さるのは、神である」
(第1コリント3:6)

この御言のとおり、神こそが私たちを成長させ、実を結ばせて下さるのです。

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