今日のみ言葉【No.1829】(2018年 9月 6日)「 救い(5)」

パウロは、自分の借りた家に満二年のあいだ住んで、たずねて来る人々をみな迎え入れ、はばからず、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えつづけた。
(使徒28:30-31)

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ある日の夕方遅く、1個150円のどら焼きを6個買おうと千円札を出しました。お釣りは百円です。

すると店の人が、

「6個じゃなくて7個にしたらどうですか。7個で1050円を1000円におまけしますよ。そのほうがいいんじゃないですか」

と押してきました。

気弱な私はついフラフラと

「あ、お願いします」

と言ってしまいましたが、釈然としない思いを抱えながらの帰り道でした。

「トクをしたのか余計な出費をしたのか、結局あの店の在庫処分を手伝わされたのか…」

相手のペースに乗せられた自分が情けなく、自己主張できずに言いなりになってしまったことが悔しくてたまりません。

たかだか100円のことなのですが、他人から押し付けられた、選ばされたと感じるとこんなにも嫌な思いをするのかと驚きました。

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キリストの福音もこのどら焼きと同じで、

「あなたの罪のためにイエス・キリストが十字架におつきになり、血を流し、苦しまれ、命を捧げてあなたをお救いになられたのですよ」

と情熱的に語る伝道者が、聞く人たちの中から

「頼みもしないのにそっちが勝手に死んだんでしょ」

「恩着せがましく無理矢理押し付けられると頭にきます」

というかなりのマイナスの反応を引き出してしまうことがあります。

救いのメッセージは、語る者は自由に語り、聞く方も自由に聞き、そしてその後の選択は聞いた人にお任せするのが基本です。

もちろん語る方は熱心に語って良いのですが、誘導尋問のようにしてはいけません。

愛は支配感のある雰囲気の中では生きていけないのです。

圧力や利益誘導を感じさせない、全くの自由の雰囲気の中でなされる決断こそ真の選択です。

使徒行伝の最終章の最後の行は、その理想的姿を描いています。

「パウロは、自分の借りた家に満二年のあいだ住んで、たずねて来る人々をみな迎え入れ、はばからず、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えつづけた」
(使徒28:30-31)

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福音は自由にただで与えられるべきものです。

結果は神にお任せし、自由に福音を伝える今日として参りましょう。

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