今日のみ言葉(2011年5月18日)【No.59】

2012年1月27日

「恐れるな、わたしはあなたと共におる。わたしは、あなたの子孫を東からこさせ、西からあなたを集める。」(イザヤ書 43:5)
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恐怖と信仰は全く正反対のものですが、共通することは、どちらも強力な力を持っているということです。
人は信仰によって前に進みます。今後20年間は健康で収入があると「信じて」住宅ローンを組みます。中には、子供も同じように安定した生活をするものと「信じて」二世代ローンを組む方もおられます。
恐怖も人間を強力に押し出す力になります。「うちもいつ地震に襲われるかわからない」と恐れを感じて新たに地震保険を検討された方はおられませんか?それは正当な恐れです。恐れというブレーキを持たない人間は暴走してしまいます。
しかし、契約条項をあまり読まず、支払いのこともきちんと計画しないで、早く安心したいあまりにサインしてしまうとしたら、それは恐れに押しまくられて動いてしまった結果です。

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恐れは人間をあわてさせます。なぜなら、今のこの状態はマイナスの状態で、一刻も早くこの危険から脱しなければ命が危うい、と感じさせるからです。
逆に信仰は人間に平安を与えます。今のこの状態がどんなに大変でひどく見えたとしても、神様がここに導かれたのだから今はプラス。更に次のステージへ導いて下さる、と、プラスからプラスへ行くと感じられるからです。
ですから、何か決断をする時に、自分は恐怖に駆られて決めようとしてはいないか、とチェックすることは大きな効果があります。
「…になると危ない」「…になったらどうしよう」

一方、信仰による決断とは、既にそれがかなえられたと信じて進むことです。
「…となったことを信じて感謝します」「それは既に終わり、自分もみんなも喜んでいる」

もちろん、一方的な思いこみや自分の欲求を通したいがために、信仰という隠れ蓑を着ることは適切なことではありません。そこには理性による吟味が必要です。
その上で、恐れないで進むことのできる保証は、いついかなる時でも神様が共におられるという約束です。事態が最悪の方向に向かっているように見える時でも、神が共におられるという約束に頼る人は、恐れに惑わされず、信仰によって平安の中を歩むことが出来ます。

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プロ野球阪神タイガースには、現在二人のクリスチャンの外国人選手が活躍しています。
マット・マートン選手(Matt Murton)は昨年セ・リーグ首位打者争いをし、あのイチロー選手の最多安打記録を抜いたことでも有名です。
彼が阪神球団からオファーを受けた時、実は躊躇しました。なぜならアメリカ国外でプレーすることは、メジャーでは通用しない選手であることを証明するかのように彼は感じたからです。日本行きは彼にとって野球選手失格を証明する最悪の選択のように思えました。
しかし、家族と何度も祈っていると、神様はマートン選手に静かにこう語られました。
「そこが、あなたが行くところです」
彼は打席に入る前、必ず十字架を描いています。イエス様の救いを表すために日本に遣わされていることを忘れないようにとの理由からです。

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すべての中におられる神を認め、その方が共におられることを信じて歩んで参りましょう。

初期,御言葉

Posted by maruyama