今日のみ言葉【No.1269】(2016年 4月16日)

これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである。
(ゼカリヤ4:6)

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ゼカリヤ書第4章では5番目の幻「2本のオリブの木と金の燭台」が記されています。

現代日本の燭台のイメージは、チャペルウェディングやセレモニーホールでのロウソクを灯すものですが、聖書でいう燭台は、ともしび皿にオリブの油を注ぎ、芯に火をつけて明かりを得るというものです。

いつも灯っているようにするためには、人間がオリブ油を注ぎ続けなければなりません。

「イスラエルの人々に命じて、オリブを砕いて採った純粋の油を、ともしびのためにあなたの所へ持ってこさせ、絶えずともしびをともさせなさい。」
(レビ24:2)

ところがゼカリヤが見たのは、オリブの木の枝に金の管がつながれ、常に油がともしび皿に注がれてある幻でした。

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このことは何を言っているのでしょう?

ゼカリヤの関心の焦点は神殿建築です。

しかしそれは一時的に休止し、再開の見込みは立っていませんでした。人々の意欲もすっかり冷えきってしまいました。

かつてソロモン王が神殿を建てた時代、国民はそのために働き、諸外国からの協力も得られ、膨大な富が注がれた壮麗な神殿が完成しました。

ところがゼカリヤの時代はその反対でした。

国民は手を抜き、諸外国は妨害し、お金はありません。

これでは神の宮など建てられるはずがない…。そう考えてもおかしくない状況です。

しかし神が示す幻は、神殿を建てるのは人間の力によってではなく、神の力によって建てられるということでした。

「これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである。」
(ゼカリヤ4:6)

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神のわざはあなたが頑張ったから達成されるのではありません。

人の手によらずして、神の霊によって成されるのが本筋なのです。

ですから、人間の力など何もなくても、神お一人の力で全てを完成させても構わないのです。

しかし、神はあえてその神のわざに私たちも参加させ、喜びを共に分ち合おうとしておられます。

そのような自分の位置を知り、無きに等しい者があえて選ばれ、あえて使っていただき、神の与える喜びを味わわせていただいている、という意識を持ち続けることが、救われたクリスチャンとして生きるための最も大事な土台です。

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ある社長さんは会社の発展と強化のため、積極的に経営セミナーに参加するのですが、そのたびに打ちひしがれて帰って来ました。

自分の短所や欠点が次々と明らかにされ、セミナーの講師からは

「あなたのそこがダメな点です」

と指摘されます。

あるセミナーでは、

「それを改善しなければあなたの会社に未来はありません」

とまでダメ出しをされてしまいました。

それでもめげずに頑張り続ける社長さんに、神様はあるプレゼントを贈って下さいました。

セミナーの参加者の中にクリスチャンの経営者がおり、その方が友達となって下さったのです。

社長さんは徐々に影響を受け、経営セミナーの他に教会の礼拝にも参加するようになり、自分は神の作品として造られ、愛されている存在であることを知り、イエス様を信じて洗礼を受ける決心をしました。

その後、彼は自分の短所探しをやめ、長所を認めるようになりました。

黙想の時を持ち、その中で神と祈り、霊的な会話を重ねるようになりました。

ある時、ご高齢のお母様が体調の悪さを訴えてきました。

いつもなら

「年のせいだからしょうがないんだ」

と言っていたのでしたが、自分の口から次のような言葉が出て、自分でも驚いたと言っています。

「身体が長生きをするために変わってきているのだから大丈夫」

彼は話す言葉に聖霊様が宿っておられることを悟りました。

次の日からお母様の顔が明るい表情になったことは言うまでもありません。

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神の霊の働きによって私たちは変えられ、成長していきます。

その神の働きに参加できる喜びを今日も味わって参りましょう。

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