今日のみ言葉【No.4001】(2026年 9月11日)「ペテロのつまずき(2)」
すると、ある女中が、彼が火のそばにすわっているのを見、彼を見つめて、「この人もイエスと一緒にいました」と言った。ペテロはそれを打ち消して、「わたしはその人を知らない」と言った。
(ルカ22:56-57)
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ペテロの一度目の否定は、「ある女中」の言葉がきっかけでした。
彼女は彼を見つめて、
「この人もイエスと一緒にいました」
(ルカ22:56)
と言ったと記されています。
その瞬間のペテロの気持ちはどうだったのでしょう。
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「はい、私はイエス様と一緒にいました」と肯定するか、「いいえ、私はそんな人は知りません」と否定するか、どちらかを選ばなければなりません。
二者択一。
自分の身をさらすか、隠すか。
真実を言うか、嘘をつき通すか。
彼は自分の身を守るために、真実を選ばず、イエス様との関わりを否定しました。
「わたしはその人を知らない」
(ルカ22:57)
キリストの弟子とは、自分を否定し、キリストを告白する人です。
「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい」
(ルカ9:23)
しかし、ペテロは、自分を捨てることができず、反対にキリストを否定したのです。
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この時、一度目の鶏の声があったと考えられます。
底本とする写本の違いがあるので、口語訳聖書では省かれていますが、新改訳聖書では脚注で触れられ、新共同訳聖書では本文中に、
「そして、出口の方に出て行くと、鶏が鳴いた」
(マルコ14:68)
と記されています。
ペテロは確かに鶏の声を聞いたのですが、その意味を意識することはありませんでした。
彼は、自分の命を守ることの他は何も考えられない状態に陥っていたのでしょう。
当然、イエス様を見失っています。
絶対的な基準である神が見えなければ、人間は相対的基準で動くほかありません。
自分が一番大事で、自分を守る者は神ではなく自分である…。
ペテロの一度目の否定には、このような背景があったと考えられます。
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状況に圧迫され、ストレス満載の時、私たちもまた神を忘れ、自分中心に判断する時があってもおかしくありません。
そのような状態に自分がいると察したら、そんなペテロをも見捨てず、赦して立ち直らせてくださったイエス様の愛を思い出しましょう。
神の赦しの中に生かされていることを思う今日でありますように…。
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