今日のみ言葉【No.4039】(2026年10月30日)「ヴィア・ドロロサ(悲しみの道)(1)」

彼らがイエスをひいてゆく途中、シモンというクレネ人が郊外から出てきたのを捕えて十字架を負わせ、それをになってイエスのあとから行かせた。
(ルカ23:26)
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イスラエル聖地旅行に行った時、イエス・キリストが十字架を担いで歩まれたと伝えられるヴィア・ドロロサは、どのようなところなのだろうと思っていました。
実際にそこを歩くと、道沿いに観光客目当ての店がずらりと並び、たいそう賑やかな通りとなっていました。
人がごった返していたのは、2000年前と同じだったでしょう。
その坂のどこかにクレネ人シモンがいたのです。
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ローマの慣習で十字架刑の宣告を受けた者は、まずむち打ちの刑に処され、それから十字架の横木を背負って刑場まで歩かされることになっていました。
そこはヘブル語でゴルゴダと呼ばれるカルバリの丘で、「ヴィア・ドロロサ(悲しみの道)」と呼ばれる坂を登っていかなければなりません。
「イエスはみずから十字架を背負って、されこうべ(ヘブル語ではゴルゴダ)という場所に出て行かれた」
(ヨハネ19:17)
その時、イエス様は前夜から逮捕や尋問、侮辱などを受け、むち打ちにも遭われていました。
ほとんど休む間もなかったと考えられ、心身ともに極度に衰弱しておられたことは明らかです。
さて、十字架刑は、民衆への見せしめという意味も持っていました。
そのため、刑場に着く前に受刑者が息絶えてしまっては、十字架刑を執行することができません。
おそらくローマ兵は、イエス様がゴルゴダに着く前に力尽きてしまうことを危惧したのでしょう。
そこで、たまたまその場に居合わせた男に、代わりに十字架を担がせたのだと考えられます。
それがクレネ人シモンでした。
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シモンは過越の祭に、はるばる北アフリカのクレネから来た巡礼者であったと考えられています。
いわば、「ただの通りすがり」の男が、いきなりローマ兵から「十字架を担げ」と命令され、強制的に従わされたのです。
私たちの人生にも、病気や介護、仕事上のトラブル等、思いもかけない出来事が起こり、望んでいない責任を突然負うことがあります。
ここで、
「そのような苦難はすべて神から来ているのだから、神の御旨だと受け取って、人間はただひたすら耐えていくしかないのだ」
と考えてしまうと、信仰そのものが、苦しむ人を支えるどころか、かえって苦しめてしまうことがあります。
シモンの場合、直接の原因はローマ兵による強制でした。
ですから、この箇所からくみ取れることは、すべての苦難を「神が直接与えられたもの」と決めつけることではなく、むしろ、
「人間の不正や予期しない出来事の中にあっても、神はご自身の計画を進めることができる」
ということです。
実際、シモンの妻と息子ルポスは、ローマ教会で重要な役割を果たし、パウロからも親しく敬われる存在になっていたと見られています。
「主にあって選ばれたルポスと、彼の母とに、よろしく。彼の母は、わたしの母でもある」
(ローマ16:13)
シモンが思わぬ十字架を背負ったことにより、彼もその家族もクリスチャンとなり、初代教会で神の務めを果たすようになったのです。
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神の御計画は、私たちの人生の思わぬところで現されることがあります。
今はその意味が見えなくても、神が思いがけないところでも働いておられることを信じ、今日という一日を歩んでまいりましょう。
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