今日のみ言葉【No.3950】(2026年 7月 6日)「生活の処方箋(330)『共依存と自立』」
隣り人の家に足をしげくしてはならない、おそらくは彼は煩わしくなって、あなたを憎むようになろう。
(箴言25:17)
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子どもは両親の豊かな愛によって成長します。
母親の包み込む愛に対し、父親は切る愛と言われ、日本は概して母性社会と言われます。
お子さんの問題等の相談の中で、包み込む愛の行き過ぎに、お母さん自身が気づいていない時があります。
包み込みが自由を奪い、拘束し、独占し、締め付け、最後には飲み込んでしまう現状がよくあるからです。
当事者にはそのことがわかりません。
なぜ子供がこうなったのか、という結果しか目に入らないからです。
日本人は、人と人との境界線を乗り越えて入り込んだり、また、人を入れ過ぎたりしがちです。
ある場合には、よい時もありますが、これが共依存となり、グチャグチャになってしまう人間関係もあります。
互いに相手の人格を重んじ、入り込んだり、入れ過ぎたりしない自立こそ、これからの日本人に求められる生き方かもしれません。
(※田中信生の『生活の処方箋』より)
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今日の聖句は、隣近所の付き合いを制限するマナーを説いているのではありません。
相手の家に頻繁に足を運ぶ動機には、「助けてあげたい」「世話を焼きたい」といった保護的な感情が潜んでいることがよくあります。
しかし、これが行き過ぎると、無意識のうちに相手を「助けが必要な存在」として扱い、結果的に相手の自立する力を奪うことにつながります。
今日の処方箋の中にある
「包み込みが自由を奪い、拘束し、独占し、締め付け、最後には飲み込んでしまう」
とは、この保護的態度が過剰になされた場合の悲劇的結末を表しています。
さらに、そこには「共依存(きょういぞん)」という心のからくりが潜んでいます。
共依存とは、単なる「仲の良さ」ではなく、「相手に依存している状態」に、もう一方が「依存している」という相互の歪んだ関係を指します。
過剰に包み込む側は、一見すると自立した、しっかり者のように見えます。
しかし、実は、相手の世話を焼き、問題を解決してあげることで、
「私がいなければこの人はダメだ」
「私はこんなに役に立っている」
という強い存在意義を得ているのです。
つまり、相手を助けているようでいて、実は自分自身の心の空洞を埋めるために「無力な相手」を必要としている状態に陥っているわけです。
箴言は、そうした行き過ぎた介入の衝動を自らコントロールするよう促しているのです。
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人間同士の不完全な愛による「共依存」から抜け出すのは容易ではありません。
それゆえ、決して変わることのない神の愛に拠り頼むこと、つまり「神に依存する」ことが必要です。
神に正しく依存するからこそ、人に対しては健全な境界線を保ち、真の「自立」を目指すことができるのです。
互いの人格を重んじ合う、この望ましい生き方を目指して共に歩んでいきましょう。
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