今日のみ言葉【No.3731】(2025年 9月19日)「見えない者が見えるようになる(2)」

ところが、ナザレのイエスがお通りなのだと聞かされたので、声をあげて、「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんで下さい」と言った。
(ルカ18:37-38)

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高額当選者がよく出るという噂の宝くじ売り場には、当選にあやかりたいと考えて、多くの人々が並びます。

イエス様の癒しの奇跡に「あやかりたい」と考えたのがこの盲人でした。

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目が見えない人は、視覚に頼れない分、聴覚や触覚といった他の感覚が発達し、より敏感になることが多くの科学的研究で示されています。

今日の聖書箇所の盲人は、

「群衆が通り過ぎる音」
(ルカ18:36)

を耳にしました。

何か特別なことがあると感じた彼が、周りの人に尋ねたところ、

「ナザレのイエスがお通りなのだ」
(ルカ18:37)

と聞かされました。

彼がすでにイエス様の癒しの奇跡について噂を耳にしていたことは想像に難くありません。

この瞬間に、彼の思いは沸騰し、

「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんで下さい」
(ルカ18:38)

という叫びとなって現れたのです。

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「ダビデの子」という称号は、旧約聖書の三大契約の一つであるダビデ契約に基づいています。

「あなたの家と王国はわたしの前に長く保つであろう。あなたの位は長く堅うせられる」
(サムエル記下7:16)

これは、ダビデの子孫が代々イスラエルの王として君臨し、その王朝が絶えることがないという神の約束です。

同時に、救い主(メシア)がダビデの家系から生まれるというメシア預言の土台ともなりました。

その背景から、盲人は「ダビデの子イエスよ」と叫んだのです。

しかし、「ダビデの子」という表現には、政治的な解放者を期待する響きも含まれていました。

実際に、イエス様がエルサレムに入城されたとき、群衆は、

「ダビデの子に、ホサナ」
(マタイ21:9)

と声をあげ、棕櫚の葉を振って歓迎しました。

彼らはローマ帝国の支配から解放してくれる王としてイエス様を待望していたのです。

では、この盲人の心の内はどうだったのでしょうか?

彼は正しい信仰に立っていたのでしょうか?

以下、次回に続きます。

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主が私たちの心の思いを見極めてくださることを信じ、今日一日も安心して歩んでまいりましょう。

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